【おたよりコラム】一緒にいられる時間
私の家のおでかけ事情は、大きく2つの時期にわかれる。2つ上の姉が中学生になる前、子どもが2人とも小学生だったときと、姉も私も中学生になってからの時期。厳密にはその間の姉が中学生で私が小5小6という間もある。その2つの時期によって、家族の過ごし方は大きく変わった。その切り替わりのタイミング、愛犬のリブラを家に迎えたのも生活が変わった理由のひとつでもある。
子ども2人が小学生だったころの私の過ごし方は、平日は小学校から帰ってくると、低学年のときから、ボールをもって遊びにいく子だった。高学年になっても変わらず、遊ぶ場所が1.5km先の公園へとちょっと遠くなったぐらいだったと思う。家族の時間は、というと、土日なのだけど、土曜午前は学校、そして午後はサッカーの少年団、日曜は午前にサッカーの少年団という予定だったので、基本はサッカーまみれだった。サッカーは姉も一緒だったので、家族で、ともいえるかもしれない。家族で出かけた印象があるけれど、いまになって思うと、いつ家族のおでかけの時間をつくっていたのだろうと不思議になる。おそらく、家族が一緒にいたのは、日曜の朝とサッカーの練習後の日曜午後、あとは長期休暇だったと思う。日曜の朝はおでかけはしていないけれど、ホットプレートをだしてホットケーキというのが三尾家のおきまりだたった。粉に牛乳と卵を加えて混ぜて、と作っていた光景がいまでも思い浮かぶ。日曜、練習から帰ってくると、家の前でサッカーや縄跳びとかをしていることが多かった。でも一番記憶にあるのは、今でいうDIY、まさに日曜大工をしていた記憶。木をノコギリで切って、机を作っていたり、なにかを塗装していたり、庭にプラスチックの箱を埋めて、池を作ったり、テレビなどの電化製品を分解したりしていたのも、日曜の午後だったように思う。家族でちゃんとどこかに出かけたりしたのは、長期休みぐらいだったのかもしれない。家族とでかける先は、横浜での買い物や鎌倉でのハイキング、水族館や映画館、スケートに化石掘りといろいろなところにいった記憶がある。行く場所行く場所で、お土産としてぬいぐるみをねだっていたのを覚えている。ただ、買ってもらえるのは、いつもぬいぐるみもふくめて1つだけだったように思う。あまり自由に買ってもらえた印象がない。でも、自分で体験できること、篆刻をつくる、焼いて革に文字をいれる、ガラス細工をつくる、そういった体験はよくやらせてもらっていたように思う。いまでも覚えているぐらいだから、ただ買うのとちがって、よい体験となっていたのだと思う。あとはお出かけして東急ハンズによくいくことがあった。そこは自分にとっては天国のようなところだった。できあがった製品は買ってもらえなかったけれど、工作の材料はわりと自由に買ってもらえたからだ。いまだにハンズと聞くだけで、ウキウキしてしまうのはそんな背景があるからだと思う。 そして少し成長し、私と姉のふたりが中学生になると、ふたりとも中学受験をしたこともあり、学校まで電車でいっていたので、部活でほとんど家にいない生活だったように思う。家族全員でということはほとんど覚えていない。お年頃、というのも理由の一つだったと思う。それでも覚えているのは、姉がバドミントン部に入ったので、近くの体育館に練習相手としてバドをやりにいったこと、愛犬リブラとのアジリティという競技のトレーニングのため、母に車で送ってもらっていたこと。それぐらい。家族でではなく、友達など外の人と、という時間が多くなっていっていた。
改めて思う。中学生になるのは12歳。本当に一緒にいれる時間はあっという間にすぎていく。しばふハウスができたころ、小学生として教えていた子が、今は高校大学生。お子さんの性格や家族にもよるとは思うけれど、今、一緒にいれる時間、出かけられる時間を大切にしてあげてほしいと思う。私としても子どもたちがしばふのイベントに参加するのもタイムリミットがあるもの。全力で、子どもたちの今を大事にして、たくさんのやりたいを叶えていきたいと思う! 三尾 新
Comments