【おたよりコラム】もらった愛情を次に

 初めて長ズボンを履いたのは小学校高学年のときだった。寒くてではなく、うちにやってきた子犬に触られるのが怖くてだった。ジャックラッセルテリアという小型犬の子犬。ジャンプしてもソファーに飛び乗れないほどの大きさ。そんな子犬がぴょんぴょんとよってくるのが怖くてソファーよりも少し高いピアノの椅子の上に逃げていた。椅子に向かってジャンプしてくるその子犬の前足が届きそう。触られる。それが怖くて長ズボンを履いたのだ。長ズボンを履いたけれど、しばらくおりれなかったことを覚えている。今になって思えばそんなに怖い?と自分自身に聞きたくなる。

 わたしは犬が大の苦手だった。通学路に犬がいたら他の道によけて帰るほど。それほどまでに苦手だった犬だけれど、急に家で飼うことになった。リブラとの出会いは長ズボンを履いた記憶だけれど、その次の記憶はもうリブラと一緒にあそんでいるものばかり。とにかくよく遊んだ。リブラを飼い始めるまではトランプやレゴなど一人遊びの記憶もあるけれど、リブラがきてくれてからは家での記憶といったらリブラとの記憶ばかり。はじめのうちは一緒におもちゃの引っ張り合いがメインだった。でもしつけ教室で出会ったアジリティという競技が二人の絆を深めた一番の理由だと思う。アジリティというのは、犬の障害物競走のようなもので、くねくねしたコースをうまく導きながら、ハードルやトンネル、ジグザグした棒を走り抜けるスピードを競うもの。ふたりの信頼関係がすごく試される競技だった。最初は、横をぴたりとついて歩くところから。室内で飼っていたけれど、トイレは散歩の時にだけだったこともあり、朝夕夜と1日に3回散歩に連れ出していた。その散歩が一緒にやる練習タイムだった。散歩中は誰もが驚くほどずーーっと話しかけていた。「リブラ!」と呼びかけてこっちをみるたびに微笑みかけ、「いいこー」とひたすら呼びかけたり、「GOGO!」といって一緒に全力で走ったり、「この先でまがって、このあとは公園まで走るよ!いくよ!」と当たり前のように話しかけ続けていた。そんな積み重ねもあって、私がどうしたいのか、どうしようとしているのかをリブラは常に気にかけてくれるようになった。そうなっていくと、私が止まったらリブラも止まる、足を出せばぴょんとジャンプで超えたり、足の間を歩いたり、どんどん一緒にできることが増えていった。これはできるかな?と一緒になって新しいことに挑戦しては技を身につけ、ふたりで喜び合っていた。そうして楽しんでいるうちにアジリティの競技がというより、リブラとわかりあえることが楽しくなっていった。一緒に成長する喜び、相手が何を思っているのかお互いに想い合う。それが信頼に繋がっていくことを教えてくれた。リブラは本当にたくさんのことを教えてくれた。学校から帰るとうれしそうに自分の元に毎回かけつけてくれ、うれしい時もつらいときもどんなときでも近くにくっついてくれていた。話をきき寄り添ってくれ、なめたりしながら喜びや労りを表現してくれていた。学校やスポーツで悩んだり、姉や親とぶつかっていたときも常に心を支えてくれていたのはリブラだった。リブラはどんなときでも惜しみなく愛情を自分に注いでくれた。  子どもたちと一緒にいてよく思うことがある。子どもたちとの接し方はリブラとの接し方が土台となっているな、と。言葉がなくても伝わるほどに、とにかく相手の目を見て、様子からなにを考えているのか、どうしてそうするんだろうと常に考え続け、どうしたら楽しんでやりたくなるか、どうしたら信頼ができるのか、そう考えるのはまさに同じところ。常に子どもたちに話しかけている自分もリブラに対する接し方と一緒。相手と関係を深めるためにしたらよいことは、すべてリブラに教わった。  今の私があるのはリブラのおかげだと思う。リブラに教えてもらったことは言葉で伝えるものではなく、大きな大きな愛情があってはじめて伝えられることだと思う。リブラにしてもらったことを、子どもたちに伝えていこうと思う。自分を支えてくれた天国のリブラに心からの感謝をこめて。 

最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square