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【おたよりコラム】姉

 「どうしてはーちゃんはゆるしてもらえるの?わたしもはーちゃんみたいにないたらゆるしてもらえるの?にんじんをたべたらほめてもらえるの?」そんなことが書かれたおりがみがみつかった。しっかり覚えていないけれどだいたいこんな感じの内容だった。幼いころの姉から母に向けて書かれた手紙だった。はーちゃんというのは私の家でのあだ名だ。はーちゃんは当時すぐ泣いて母に告げ口をするような子だった。「自分が正しい」だから「姉をしかってよ!」そういう告げ口。そんなはーちゃんの口癖は「だってさやかちゃんが、、」だった。とにかく、なにがあっても、それこそ私が悪かったとしても、なんでも姉のせいにして「だってさやかちゃんが」を連発していたらしい。このだってさやかちゃんが攻撃は母に通じることもあったし、「それはあなたが悪い!」とまったくもって相手にされなかったこともあった。それでもこの攻撃はなんだかんだうまくいっていたのだと思う。というのも原因が私にあったとしても、母は母でいいすぎたりやりすぎた姉にも注意をしてくれるからだ。そんな私だったので、姉にとっては正直うっとうしい存在だったのではないかと思う。  そんないつも「だって攻撃」をしかける私だったが、その「だって攻撃」を繰り出すのは、いつも決まって家でだけ。外にいくともうすっかり借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。なんなら姉の後ろに隠れているようなタイプ。親がいなくて姉とふたりになるようなときは「ほら、いくよ!」と引っ張られていたように思う。たった年齢差は2。さほど変わらないのだけど、外ではものすごく頼りになる姉だった。家ではとってもわがまま放題、外にいると姉の後ろ、という私は、姉からみてどうみえていたのだろうか。  姉はわたしと正反対の性格だった。小学生の時の姉はまじめでもうまさに委員長!というタイプだった。背も高く、勉強もでき、足も速い。ちょっと悪さをする男の子たちをすべて先生に告げ口。私がもし同級生だったら、絶対に告げ口されてばかりだったと思う。私の苦手なタイプだ。そんな姉の同級生の男の子たちにみつかると「あ、みおの弟だー」といろいろ厄介だったのを覚えている。姉には直接なにもできないから、自分にするんだろう、と幼いながらに思っていた。そんなこともあったので、早く別の学校になりたいと心から願っていた。  姉と比べられることがとっても嫌だった、という思いは強くあるけれど、結局こうして思い返してみると、姉にすくわれていることの方が多いと改めて感じる。私が小学生のとき、毎日外で遊んでいるようなタイプだった。門限は17時となっていた。でもその門限を守れた試しがなかった。注意されても翌日には遊ぶことを優先してまた門限を破る。そんなことを繰り返すうち、ついに遅れて家につくと鍵をあけてもらえず、外に締め出されてしまうようなことがあった。それも1度や2度ではないからどうしようもないけれど。でもその締め出されているときに、家の中はどうなっているかというと、姉が母に「もういれてあげようよ!はーちゃんも反省しているよ!」と言っていてくれたそうだ。そのとき少年の私はボールをもっているので、まだ遊べる!とばかりにリフティングをしていたりと、もう本当に姉には頭が上がらない。  「ワクチン打った?」「もうちゃんとした仕事につきなさい」年に数回送られてくるLINEでも昔と変わらずいろいろと言われることばかり。まさに真面目な姉と、どうしようもない弟。最近姉の誕生日があった。気づいていたけれど、そのまますぎていた。今年はもうすでに遅れてしまっているけれど、ちょっと一言でもLINEを送ってみようと思う。 三尾 新

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