【おたよりコラム】我慢、頑張るのない世界に

 4月、新しい学年、新しい友だち、新しい先生、たくさんの新しいがまわりにあふれる時期。「楽しみ!」「ドキドキする」「不安」たくさんの気持ちが子どもたちの表情からみてとれる。私は緊張の「ドキドキ」とちょっと大人になった「ワクワク」でいっぱいになるタイプだった。人の前でなにかすることが苦手だった私の毎年の試練は順番にまわってくる自己紹介だった。だいたいは名前順。『みお』なのでわりと最後の方だった。あ行か行のころには「大丈夫大丈夫」と自分にいいきかせ、さ行た行のころには「何を言おう」と必死に考え、心の中で繰り返す。な行は行では「失敗したらどうしよう」「あれ、なんていうんだっけ?」とプチパニック。結局、足はふるえ、頭は真っ白。もう苦手で苦手で仕方がなかった。でも、憂鬱なことといえばそれくらいで、クラス替えや先生の心配はあまりしていなかった。そう考えると、新しい環境に自分を合わせて頑張る、我慢する、ということが少なかったのかもしれない。休み時間があって、放課後もあそべるのなら全てオッケー!そんな感じのものすごく単純な男子だったともいえるかもしれない。とはいえ、実際には過去を美化している部分もあるだろうし、嫌いなものがでてくる給食、どうしても合わない先生や友だち、きっと我慢もしていた部分もあったと思う。  でも、こう考えていてふと思った。最近の私はあまり「我慢」や「頑張る」をしていないのではないか、と。「頑張ってるね」「大変なことも多いでしょう」と声をかけてもらうことも多いのだけれど、その言葉がしっくりきていないことが多かった。やることを詰め込みすぎて「うわー」と追い込まれていることもある。それでもどれもやりたいことをやっているからか、子どもたちとの出会いや笑顔につながっているのを感じられるからか、苦しい中、我慢して頑張っているというような感覚はない。「好き」を取り組むとエネルギーが何倍にも膨らんでいく。仕事に限らず、体を激しく動かすスポーツでも、身体を極限まで追い込んで、転んで怪我して、とその瞬間大変なことはあっても、それを苦しいとは思わない。その先に見える楽しさで、つねにワクワクでいっぱいだから。「好き」はどんなときでも進むべき道を示してくれ、背中をぐいぐい押してくる。きっと「これ大変」「めんどくさい」「キツイ」そう言われるようなことでも、どんなことでも、「好き」があれば、マイナスは気づいたらなくなっているのだと思う。「我慢」や「頑張る」は嫌なことがあったときに、その嫌なことに合わせなきゃというときに出てくる言葉。「好き」をやっているとき、そこに「我慢」や「頑張る」は一緒にいられないのだと思う。  我慢が美徳とされることも多いし、我慢しなきゃいけないと思っている子も多いと思う。子ども時代は、お菓子は後で、これは買いません、走っちゃだめ、と我慢させられることが多く、我慢ができると褒めてもらえるから仕方がない部分もある。そして我慢させないと生活が回らないのも確か。でも大きくなるにつれ、我慢が褒められる以上に、「好き」の部分、その子がこだわりをみつけたときにもたくさん褒めてもらえるようになると、苦しみと共存ではなく、楽しみによって苦しみがない世界が広がっていくのではないかなと思う。

 私が、なにをやっていてもわりと我慢などの苦しさを感じずにいれるのは、どんな環境でも「好き」「楽しい」「おもしろい」を見つけるのが得意だったからなのかもしれない。どんなときでも「好き」「楽しい」「おもしろい」を見出すから、どんなことでも、やってみるし、やる気も続くし、もっと深く知りたくなる。仕事も学校も趣味もなんでもそうなのだと思う。あたりまえに好きを表現する。どんなことにもおもしろさをみつけて楽しむ。そんな大人が周りにたくさんいる。そんなまちになったら子どもたちは生き生きするんだろうなぁと思う。まずは「なんか三尾はいつもなんでもやるし、なんか楽しんでる」そんな風に言われるように、私から「好き」の力を伝えていきたい。

三尾 新

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