【おたよりコラム】苦手があるから

 「どうしてできないや苦手を作ってあげないんだ?」少し前、私の胸にささった言葉だった。先日はら祭りを行ったり、夏のイベントでもお世話になる石の原産業さんの社長のお母さんと話している時のこと。「母は心配が先に立つのよね」と子育ての話になっていた。「でもね」と続けていったことがあった。「そんなときに主人に本当に感心したことがあるのよ」と旦那さん、前社長の話がでてきた。「私はね」と話が続く。泳げない我が子をみて、これから学校でも水泳が始まるし、困らないようにスイミングを習わせたほうがいいかな。字もきれいなほうがいいから習字も習わせたほうがいいかも。でも曜日は?遊びの時間は?などと習い事のことであれこれ悩んでいたそう。そのときに旦那さんから発せられた言葉が「どうしてできないや苦手を作ってあげないんだ?」という言葉。いやいや苦手があったら困るのでは?できる限り苦手はないほうがよいのでは?とその言葉だけ聞いて私は思ってしまった。でもその言葉の後に続く言葉にはっとさせられた。「自分にできないことがあるからこそ、自分にできないことができる人を尊敬できるようになる。苦手がなかったら誰かをすごいと思えなくなってしまうよ。だから苦手は作ってあげたい。」

 私はものすごく負けず嫌いだった。負けず嫌いをこじらせて、どんなことでも勝ち負けでしか考えないような子だった。どんなことでも負ける自分が許せなかった。サッカー、勉強、足の速さ、鉄棒、縄跳び、字の綺麗さ、工作、音楽、なにひとつ負けたくなかった。負けず嫌いのおかげで、どんなことでもひたすら練習をしてできるまで努力をしたのは今でこそよかったと思っている。でも私の負けず嫌いは、いきすぎてしまっていた。どんなことも私は人より優れていると勘違いしたのだ。実際は負けていることがあっても「足の速さも身長が同じだったら負けてない」「自分ができないバク転ができる子がいるけど、やればできるし、他にこれとこれはできてるから自分のほうが上だ」と負けを認めなかった。相手のすごいところをすごいと素直に尊敬することをしないで生きてきたのだ。人を尊敬することなく、すごいと感心することなく、大学に入ってしばらくまで、自分が誰よりも優れていると思い上がったまま育っていた。その頃までの自分は結局、人を頼るこををしらずにいた。対極のような価値観で生きてきた私に「苦手があるから尊敬を感じられる」という言葉が、心にすっと入ってきた。  人の素晴らしいところを認めることは、自身のよいところも大事にできることなのだと思う。でもこの話の難しいことは、ただ苦手を作ればよいというわけではないということ。自分の苦手や、相手の素晴らしいがあったときに、まわりがどう伝えるかが肝心なのだと思う。できないことを見つけたときに「なんでできないの?」でも、「頑張ってできるようになろう」でも、できている子をみて「あの子はちがうね」でも、相手を尊敬できる子にはならないように思う。どうしたら相手の素晴らしいところを見つけて、感心し、自分自身のすごいところもみつけられるようになるのか。結局はその子自身がだれかと比べられるのではなく、そのままを受け入れてもらえた経験の積み重ねなのだとおもう。今のままであなたは十分に素晴らしい。できている人を追いかけず、全員にもともとあるその人の素晴らしいを大事に伸ばしていけたら一番よいのではないかと思う。もちろん素晴らしいと思う人を追いかけることで身につく強さもある。いきいきとその子が人として魅力的になっていく方法は一つではないと思う。  申し込みがはじまった夏休みのイベント。教室ではみれないさまざまなよさがみつけやすいタイミング。たくさんのよさを引き出せる機会をつくり、ひとりひとりのよさをたくさんみつけ、全員が特別と感じられるようたくさん声をかけていきたい。 三尾 新

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