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【おたよりコラム】今にも続く

「なんでさやかちゃんもプレゼントもらっているの?」「ひなまつりは女の子の日なのに、なんで男の子だけが祝われる日はないの?」「なんで子どもの日は子ども全員が祝われるの?」「母の日とか父の日があるのに、弟の日はなんでないの?」

 5月5日になると決まってやっかいな言葉を発して親を困らせていたのは子どものころの私。子どもの日に限らずいつでも文句ばかり言っていた。姉からのおさがりについて、おこずかいの金額の違いについて、自分ばかり怒られることについて、親族の中で一番年下だったことについて、家族宛の年賀状に書かれている私の名前がいつも一番最後であることについて。何から何まで文句づくしだった。文句を言っておさまるのならいいのだけれど、だいたいは、姉に怒られ泣きわめくというお決まりのパターン。私としては、どうしても『自分だけ』という特別感が欲しかったのだと思う。もしそんな私の気持ちがふたりに届いていたとしても、母や姉にとっては本当に面倒くさい相手だったのではないかと思う。実際に姉からブーブー言われていたことは、姉のイライラした表情とともによく覚えている。でもあまり母からそういった文句に対して怒られた記憶はない。母がどんなときも怒ることのない人だったかといえば、そういうわけではない。特に約束を守らないと怒られた。テレビゲームはやり始めると時間を守れないのはよくあること。1日30分までという決まりがあったが、30分経つと、「あと、ちょっとー」といつもいっていたように思う。こういうわがままには電源をブチッと切られることもしばしば、約束を守れないならとスパッと捨てられてしまったこともあった。また、毎日、外で遊んでいた私は5時の門限を守らずに暗くなるまで遊び尽くして、家から閉め出されてしまったこともあった。当たり前だが、約束したことを守れないと怒られる。でも感じた不満に対する文句はあまり怒られなかったように思う。文句を言うと「じゃあどうしたいの?」「はじめが思うようにやってみれば?」という母の言葉。きっとあまりに多い文句に、ただただあきれていただけなのかもしれないし、「それで気持ちがおさまるなら」そんな感覚だったのかもしれない。結局私は、スプレーでおさがりの自転車の色を変え、親族にも家族連名でなく私個人で年賀状を送り、送る相手にも連名でなくひとりひとりに送る。そして弟の日もつくった記憶がある。今思うと、やりたい放題していたようにも思う。文句はあまり怒られなかったと思うと言ったが、実際には怒られていることの方が多いのは間違いない。大半のことは怒られていると思う。でも記憶にのこっているのは、自分で感じた不満を自分で工夫して解決することができたという思い出。都合のよい記憶なのかもしれないが、おかげで不満があったら工夫してみるという習慣がついたように思う。「思うようにやってみれば?」その言葉にいまも救われ続けているのだと思う。

 もうじき母の日。こうやって母のことを書いていたりもするけれど、いざ母になにかしよう、というのは照れくさくていつもできていないのが正直なところ。今年こそはなにかちょっとしたことでもいい、感謝を伝えてみようと思う。

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