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【おたよりコラム】大事

 「三尾先生はみていて大事にされてきたのがわかる」最近かけていただいた言葉だった。私はそのとき、なにも返答することができなかった。わからなかったのだ。大事にされてきたのか。いや、たぶん大事にされてきたと思ってもいる。けれど、大事ってなんだろうというところに引っかかったのかもしれない。大事にするってなんだろう、そんなことを考えてしまった。どんな子も親からは大切に思われている。私が特別なわけではない。そう強く感じた。

 習い事や様々な体験ができる場に行き、多くの経験をすることができたことは大事にしてもらっていた証なのかもしれない。でも大事にされるというのとは、まだ重ならない。自分でやることが好きな父のおかげで、家には工具があふれかえり、なんでもつくってみる、修理してみるということが当たり前のように考えるようになっていた。行動的な母のおかげで、やりたいことをやる、なければできるように環境を作るということを当たり前のように考えるようになっていた。でもこれは大事にされていたからなのか、というと、違うような気がする。もちろん子どもである私のことを思ってやってくれていた部分もあると思う。しかし、大事にされてきたというのとはどうしても重ならなかった。大事にされてきた子というのはどんな子なんだろう。考えるうちに完全にわからなくなっていた。

 数日後に「大事ってなんですか?大事にされた子ってどんな子ですか?」と、冒頭の言葉をかけてくださった方にきいてみた。相手のことをうたがわない子、言葉遣いのきれいな子などが、大事にされてきた子のイメージだと教えてもらった。しっかり向き合ってもらった子、自分の意見を大切にしてもらった子、他の人も大切にされていることをみている子。そういった子なのではないか、と。それを聴いて納得すると同時に、私自身は当てはまらないのでは、と考えるようになっていた。自分自身では大事にされたかということにはなかなか気付けないのかもしれない。意見を聞いてもらえなかったことの方ばかり覚えているし、姉のことばかり優先されていたように覚えている。本当はそんなことなかったはずだけれども。そしてきっとそれはお母さんも同じなのではないか。子どもを大事にしているお母さん自身も気付けないのではないかとも感じた。きっと、うまくできなかったことばかりに目がいってしまい、もっと大事にできたはずなのに、と感じている方が多いように感じる。どうみてもすごく真っ直ぐ、素直に、それこそ大事にされているんだろうな、と思うお母さんほど、そう考えている方が多いように思う。自信を持って大事にしているよというお母さんも、もっと大事にできると感じるお母さんも、そう子どもを大事にすることについて考えている時点で、お子様は大事にされているんだと思う。20年もたってしまいましたが、私のような男の子でも、大事にしてもらっていたんだと思えるようになってきました。そのありがたみを感じたときの、お子様たちはどんなことを想うのでしょうかね。

三尾 新

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