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【おたよりコラム】見えない部分

 「やった!学校がはじまる!」夏休みが終わるころ、学校が始まることを、友だちに会えることを心待ちにしている小学生の私がいた。学校が好きで好きでたまらなかった私。学校の授業も、登下校の長い道のりも、休み時間も、給食も、どれも大好きだった。なにより友だちといることができるということが、好きだったのだと思う。きっとはたから見たら、なんの悩みもなく、小学校を思いっきり満喫している子に見えただろう。

 でも私にも学校でどうしても苦手だったことが3つあった。

 1つは、給食に出てくる嫌いな食べ物。小学生のころ、少食で、さらに好き嫌いがものすごく多くあった。嫌いなものが出てくる日、私は給食の時間が近づくにつれ、そわそわし始めていた。結局嫌いなものは、掃除の時間まで残って食べているか、友だちに救われるかだった。今の給食のはじめに量を減らすことができる仕組みはうらやましくもなる。

 2つ目は特別支援学級にいた子のこと。てんかんを持っており、急に硬直と痙攣の発作がおきてしまう子だった。私のことを気に入ってくれたのか、仲良しと思ってくれていたのか、走って追いかけてくるのが日常だった。私は捕まりたくないし、他の子との時間を邪魔されてしまうことが嫌で、走って逃げる。その子からしたら鬼ごっこみたいになって楽しかったのかもしれない。ただ、私は校舎内をぐるっと走り、すぐに逃げ切る。それで終わればいいのだが、問題が度々起きる。校舎の遠くや他の学年のところでひとりその子が、発作を起こしてしまうのだ。もちろんその場に私はおらず、教室に戻ってきて友だちと楽しく話している。結局私が先生に怒られることになる。一番苦しいのはその子だったろうと今になって思えるが、当時は邪魔されるのが嫌、捕まりたくもないので逃げる。すると、叱られる。本当にそれがストレスだった。その子のことがどうしても許せなかったし、特別支援学級、障害などが大嫌いになっている自分がいた。

 3つ目は先生という存在。先生が大好きだった時期もある。しかしそれは1,2年生のとき。それ以降は先生を信じることができなくなっていた。どうしても素直に先生に従うことも、アドバイスを聞き入れることも、注意をきくこともしたくなくなっていた。先生に褒められることもおだてられているようで嫌になっていた。そのうち私の方からも先生たちを小馬鹿にするようなことを友だちなどと話すようになっていた。いいことではないが、直視せず、まっすぐ受け止めないことで、バランスを取っていたのだと思う。

 どれも大した問題ではないじゃないと思われるかもしれない。それでもその時の小学生の私には深刻な問題だった。子どもにも大人にも、元気な人にも幸せそうな人にも、どんな人にもあることなんだと思う。まったく悩みや不安を持たない人なんていないと思う。見た目などの表面からだけではわからない悩みを抱えている。いいところばかりみて、すごいなぁうらやましいなぁと判断するのではなく、ひとりひとりの秘めているものに、すっと気づき、寄り添えるような人になりたいと思う。特別になにかしなくてもいいのだと思う。小学生のころの私をいつも助けてくれていたのは友だちの存在だった。給食をさっと食べてくれたのも、三尾のせいでないと伝えてくれたのも、話をきいてくれたのも。本当に支えられていた。その時いてくれた友だちのように、今度は私が誰かが悩んでいる時、近くにいる存在でありたいと思う。

三尾 新

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