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【おたよりコラム】あたまの中で

 小学生クラスの授業でトランプをつかった神経衰弱を行った。対相手ではなく、ひとりで行い、何回で全てのカードをとることができるかという記録との勝負。1年生から6年生まで全員同じルールでハンデもなし。なににも頼ることなく、頼れるのは自身の記憶だけ。そんなシンプルなゲーム。やはり学年が上の方が、記録は良くなっていく。各曜日の子たちの記録が集まり、最後の曜日の前半のクラスで驚くことが起きた。ぶっちぎりの新記録が出たのだ。しかもその記録を出したのが、2年生。そしてまだ驚くことは続く。その後の後半クラス、先の新記録に続く2番目の記録を1年生が出したのだ。

 そのふたりは、記録を出した時、「やったー」と人より先に終わったことを喜ぶわけでもなく、他の人の様子をみるわけでもなかった。そしてふたりともが直後に言った言葉があった。「もう一回やってもいい?」他の子が終わるまでの間、ふたりともひとりで黙々と神経衰弱をやっていた。それも「終わり~」と私が言うまで何度も何度も。教室後にお母さんに話してみると、ふたりとも「よくやってるんです」という言葉が返ってきた。『好きこそものの上手なれ』とはよく言ったものだなぁと感心しながら、思い出す。

 私は小さいころ暇さえあれば外遊びという子どもだった。それでも家の中など室内で遊ぶ時間も多かった。雨の日、留守番の時や、夜ごはんの後、なにかの待ち時間、そんな時間に何をしていたかというと、折り紙、あやとり、トランプ、知恵の輪、ジグソーパズル、そんなことばかり。もちろん姉とも遊んでいたけれども、自分ひとりで遊んでいる記憶の方が強い。勝ち負けや、成功失敗がある遊びをひとりでしていると自分なりのやり方、考え方を試し始めるようになる。頭の中で、こうしたらどうなるんだろう、と自分の頭の中の世界で自分の考えと対話することが大好きだった。対戦形式のものもひとりで二役つくりだし、戦っていた。本気の自分が相手だと相手が何を狙っているかもわかるのでとても手強かった。どんな遊びも簡単だったら自分なりにルールや制限を追加して取り組んでいた。おそらく私がテレビより一人遊びが好きだったのは、まさにこの部分だと思う。自分で考えたことを、自分の手で試してみて、その結果が出てくるということ。この考えたことを、試してみるということを楽しいと思えるようになったことは本当に大きな財産だなぁと、今になって、母には感謝をする。

 物事がうまくなるかは、なによりもやった数が決めるのだと思う。そして、『早く』とか『ぐんぐん』上達するかどうかは、取り組んでいる子がそのことについてどれくらい頭を使って向き合っているかの違いだと思う。ここをこうやったらどうなるかな?こうしたらもう少しうまくいくかな?とたくさんのことを考えながら、目の前のことにぐっとのめりこみ、時間も忘れて取り組み続けたかどうかだと思う。ただ漫然とやっても上達はなかなかできない。そして、もうひとつ。一緒にやる人がいるから成長することもあると思う。けれど、どんなことも、自分の頭の中での対話がない限り成長はしていかない。自分でやってみて、上手くいかなくて、やり方を工夫してみて、今度は考えてやってみて、「あれ、なんでだろう。こうしたらいいかな。こうかな。こうしたらどうだろう。」そう頭の中でたくさんたくさん自分の考えと向き合う時間をつくってみてほしい。私自身、やってみて、修正して、またやってみて、そんな姿を見せ続けられるように挑戦をしつづけていく。

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