【おたよりコラム】ただただ歩く

December 22, 2017

 ついちょっと前まで暑い夏だったと思っていたら、早いものでもう冬休み。年末年始をどう過ごそうかなと考えてみたりしている最近です。年末年始と言ったらおじいちゃんおばあちゃんの家がある愛知県に戻る。というのが子どもの頃のお決まりの過ごし方だった。戻った先で会うのもお決まりの人たち、お決まりの人たちと会って、お決まりのことをしていたのだろうと思う。それなのに、どうしても何をやっていたのかを思い出すことができない。そして、おじいちゃんとおばあちゃんの顔を思い出すことも実はできないでいる。小学生のころに亡くなってしまったということもあるけれど、年に数度会うだけだと、こうも覚えていられないものかと残念にすら感じる。でも、覚えていることもある。ただ、覚えていることはお決まりのことではないことばかり。おばあちゃんの思い出は、とっても大切にしていたくまのぬいぐるみを縫ってなおしてもらったこと。料理のために台所に立つ後ろ姿。奥のひっそりとしたところにあるトイレにまでの怖い廊下で話をしてくれたこと。少ないと思われるかもしれないけれど、これでも多い方。おじいちゃんはもっと少ない。家の掘りごたつでみかんの皮のむき方を教えてもらったこと。それから、白鳥が飛来する公園まで朝から二人っきりで歩いて行った時の、道の青信号。「白鳥をみつけた!」という喜びでも、おじいちゃんと話した内容でもなく、覚えているのは信号機だけ。言葉で表すと、とても寂しくも感じるけれど、このおじいちゃんとの散歩を振り返ると、かならず、とてもやさしくあたたかい気持ちに包まれる。なにを話していたのか、私がどんな気持ちだったのか、どうやって帰ってきたのか、そもそも白鳥はみれたのか、何にもわからないけれど、きっと一緒になって二人っきりで長い時間ずっと話しながら歩いていたんだろうと思う。二人っきりで一緒に歩きながら話すということが、特別で、ワクワクして、嬉しかったのだと思う。思い出は少ないけれど、大好きなおじいちゃんとおばあちゃん。あったかく、とても大事にしてくれたという気持ちがずっと残っている。いまでもなにか報告したくなって、お墓参りに行くのはこのおじいちゃんとおばあちゃんのところ。

 

 そしてこのおじいちゃんとの散歩のように、二人っきりで歩きながら話をする、その雰囲気がたまらなく好き。それは今でも変わらない。子どもと二人っきりで長く歩いていると、実のない話が大半ではあるけれど、その中にぽつりぽつりと普段話さないようなことが自然と話しに混ざりはじめる。そういった話が出るまで話を急かすことなく、ゆっくり歩いていく。おじいちゃんもきっと幼い私の話をひたすらに受け止めてくれていたのではないかな、と今になって思う。たった1回一緒に歩いただけの散歩で子どもの胸にあたたかいなにかを残すことができる。こんな素敵なことができたらいいなと思う。

 

 これからくる年末年始のお休みに、家族団欒を満喫してほしいと思う。そしてそれに加えて、子どもと二人っきりでただただ歩いてみるということもぜひやってみてください。きっとふたりっきりの散歩は子どもの心に残るのではないかなと思います。

 

 ただ、後になって聞くと、その白鳥探しの旅は、おじいちゃんが突然思い立ったように、幼い私だけを連れて出かけたようで、母やおばあちゃんはどこに行ったんだ、とずいぶん慌ていたそう。ひやひやするのではなく、まわりも一緒にみんながあったかくなれるような話になりますように。


 本年も残す所あと1ヶ月。最後まで全力で子どもと向き合ってまいります。

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