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【おたよりコラム】安心の場所

 4月、新しいことが始まる季節。新しい学年に、新しい教室、楽しみなことがたくさんある。けれども、不安もたくさん。新しいクラスに、新しい先生。たくさんの気持ちが溢れる4月だけれども、どうやってクラスの発表があったのか、入学式や始業式になにをやったのか、まったく覚えていない。覚えているのはたったひとつのこと。新しいクラスで名前順にやってくる自己紹介。なにをそんなにと思うかもしれない。『名前は三尾新です。好きなことはサッカーです。』5秒もあればことたりる。ただ、この5秒が怖くて怖くてならなかった。三尾という名前は最後の方。待っている間、先に発表する人の自己紹介がするすると頭を通り抜けていく。自分の番が近づくにつれ、手には汗が、足には力が入らなくなってくる。いざ自分の番となると頭が真っ白。用意したことなんかなにもでてこない。ただただ足が震えている。そんな記憶が残っている。

 ずっとずっと人の前で失敗することがとても怖かった。失敗したところでなんということもないし、誰も気にしない。いまならそう思うことができる。でも失敗したらなにもかも失う。それくらい大きなことのように感じてしまっていた。その理由は自分自身に自信がなかったからだと思う。自信がないから完璧を装う。自信がないから隠れて練習する。そして自信がないから嘘をつく。どれもきっと親にはばればれだったと思う。きっと親どころか大人みんなに。自分自身をよくみせようとついた嘘も、なにかあったことをごまかす嘘も、『でも』『だって』と付け加えた嘘も。自分自身でついたひとつの嘘に帳尻を合わせるために、もう一つ嘘をつく、そうするともう嘘の連鎖が止まらなくなってしまう。厄介なのはだんだんと嘘から話が膨らんでしまい、本当のことをいっているのか嘘をいっているのか、わからなくなってくるということだった。そうなると子ども心に「まずい」と感じる。もう嘘をつくのはやめようと考える。でも、またなにかあると自分を正当化しようと嘘をつく。この習慣はなかなかぬけることがなかった。人前でなにもできないというあがり症と同じぐらい、ずーっと私にくっついていた。

 治ったのはいつか、というと正確にはわからない。でも、小さなことでも人の前にたってやることに積極的に挑戦していったこと。そして、人の前でたくさんの失敗をしたことが、克服につながったように思う。失敗してもだれも気にしていない。気にしているのは自分だけなのか、と気づくことができた。自分はせいぜいこんなもんだ。と自分に完璧な理想を求めなくなった。ありのままの自分を認めてくれる人がいるということを知ったことも大きな支えになった。嘘は自分自身も自分を信じてくれる相手をも傷つけるということも知った。それもこれも失敗をしながら学んだこと。でも完璧な理想を夢見てしまう病は抜けきっていないようで、たまに、自分を大きく見せようとがんばってしまう。でもそんな自分も悪くない。そう思っている。それが嘘ではなく隠れて練習するという方向に向かっているのなら許してあげようと。

 ありのまま、今の自分を認められる。自分をそっくりそのまま受け入れることで生まれる余裕、相手をゆるす心、思いやり。そんなあたたかい心を一緒になって身につけられる、安心して挑戦して、安心して失敗できるそんな教室をつくっていきたいと思います。

 本年度もどうぞよろしくお願いします。

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