【おたよりコラム】人を変えるほどに
土曜日、小学校で運動会があった。「いけ!がんばれ!がんばれ!」そう心で強く思う私。気づくと心の声が大きな声になっている。知っている子が1位になると自分のことのように嬉しくなり、ぐっと手に力が入る。がんばる姿に、全力を出した後の嬉しそうな表情に『感動』といえばシンプルな言葉だけれども、「わぁ、すごい!」というような感動とは、またちがう。言葉で言い表せないような感情がグッとこみあげてくる。そして目にじわじわ涙がたまっていく。がんばっている姿に、真剣な眼差しに、こうも心を揺さぶる力があるのかと驚く。
私は幼いころから『感動』という言葉とは縁遠かった。卒業式などの涙しがちなイベントも、心が揺れることはなく、淡々と過ぎていくだけのイベントだった。自分以外に関心がなかったのかもしれない。それこそ、私自身のことに対してもどこか他人事のように感じているほどだった。自分自身の勝ち負けしか関心のない子で、他のこと一切にはとにかく冷めた子どもだったと思う。ものごとや周りの人に対して冷めている私というのは、子どもの頃だけではなく、大人になっても変わらず、人に感情をあまりみせないタイプだった。心にバリアを張り、人に踏み込むことも、人に踏み込まれることも避けていた。
そんな私をかえてくれてたのは、間違いなく、子どもたち。子どもたちみんなが疑うことなく、自分のことを信じてくれる。純粋な目でまっすぐに私のことをみてくれる。そして、心のバリアを当たり前のように超えてくる。それも容赦なくずかずかと。この土足での立ち入りが私のかたく閉ざしていた心をほぐしてくれた。「おにごっこしようよ!」「ねぇ、きてよ!」「もちあげて!」私がなにかしていることがあっても、待ってくれない。それでも声をかけてくれることが、私を求めてくれることが嬉しくて、その言葉に応える。その時に見せてくれる、無邪気な笑顔が最高のプレゼントだった。
子どもたちに深く関わるようになって、6年が過ぎた。6年。この6年の間に子どもたちの表情をたくさんみてきた。無邪気に笑う顔、「できた!」とスッキリした顔、問題が解けて得意げな顔、悩む顔、あきらめる顔、わーっと頭がぐしゃぐしゃになってしまったときの顔、我慢する顔、悔しくてみせる涙、寂しくてみせる涙、安心してほっとした顔。そのひとつひとつにその子らしさが表れているように思う。ストレートに表現される感情。そんな子どもたちの感じた気持ちを日々シャワーのようにたくさん浴びたことで、私自身、だんだんやわらかくなってきているのだと思う。
今回の運動会、いつも以上に時が経ったことを感じた。子どもたちが変わっていく。悩んでいたことを、自分の力で乗り越えて、大きな自信を手にしていく。できることが増えていく。そしてあたらしい挑戦に向かっていく。みんな変わっていく。そんな子どもたちが『今』その瞬間のことだけを考えて、必死に走り、演技する。そんな姿が、とても大きくみえた。
子どもたちは驚くほどのはやさで変わっていく。私は変わっているのだろうか。私は変わっていく子どもたちにとってどんな存在でいられるのだろう。一緒になって変わっていくことができるのだろうか。変わらないままでいられるのだろうか。そんなことを思った。そして新たに思う。そのこれからのすべてを、子どもたちに任せてみようと。きっと素直な気持ちでぶつかってきてくれる子どもたちが良い方向に導いてくれると信じて。