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【おたよりコラム】なんでもできる

 習い事のスイミングが終わった後のこと、車で迎えにくるはずだった母がまだきていなかった。「お母さんが見つけやすいところまで少しだけ歩いてみよう」と大通りまで歩いてみた。「この道を歩いていればすれ違うことはないし、自分も見つけられるから、もうちょっと歩いてみよう。お母さんも自分が近くまできていたら、驚くかな」そんな気持ちで少しずつ家へ向かって歩きはじめた。道ですれ違う車を確認しながらではあったが、少しずつワクワクしはじめていた。そして10分も歩くとすっかり冒険気分になっていた。細かいことまでは覚えていない。ただワクワクしていたということと、4キロ弱の道のりを家まで帰れたぞというやりきった気持ちだけが記憶に残っている。母と姉の必死の捜索と心配にはまったく気づいていなかったのだろう。母とすれちがい出会えないまま、家に着いたその足で、4km先にあるピアノの教室に向かって、ひとり歩いて向かっていたのだから。発見された時には間違いなく怒られただろう。それでもまったく懲りていなかったのだろう。

 はっきり覚えていることがある。家族で横浜駅周辺に出かけ、人が多い中、そろそろ帰ろうと駅に向かって歩いている途中のこと。母と姉が何か買うものでもあったのだろう、駅の方へ先に行き、父と私はあとで合流することとなった。父が家電量販店で買うものがあるからと、私も一緒に寄って行くことになった。このとき家電量販店に興味もなかった私は、「道は知っている!」「横浜駅へひとりで行ける!」という自信があり、「ひとりで行ってみたい」という思いがふっとわきはじめた。母に「お父さんと一緒にいるんだよ」と言われたことに、「もうひとりでいいじゃん!」という反抗心もあったのを覚えている。そして父の目を盗んでひとり横浜駅に向かいはじめた。横浜駅という場所をひとりで歩いているということ、人が多い場所ということもあって、楽しくなっていた。その後どうなったのか。私は横浜駅の入り口あたりで父にみつかり、楽しい冒険が終わってしまったことにがっかりしていた。父が連絡をしていたのだろう、前から母がきた。つかつかと。そしていきなり頬をはたかれ、涙目で「何やってんの!なんでひとりでいっちゃうの!」と言われた。「え、なんで?なんでそんなに怒っているの?」そんな気持ちが浮かんでいた。しかしその直後、母がふいっと背中を向け、姉の手を引いて先に歩いて行ってしまったその母の背中をみて「とても悪いことをしたんだ」という気持ちがわいてきた。どんどん駅の方へ離れていく母のその後ろ姿は忘れられない。人の前で母が自分を叩き怒った記憶は思い返してもそれしかでてこない。

 3年生か4年生のころ、親との約束を少しだけ破り、自分の判断で動いてしまうところがあった。あくまで「少し」であって、ちょっとしたことだとそのときの私は思っているのだが、親からしたら全く「少し」のことではなかったのだろうなと、今になって思う。子どもは成長してだんだんできることも増えてくる。そして、様々なことに対して「ひとりでできる」という自信を持つようになってくる。親に対して反抗することもあるだろう。どう考えても根拠のない自信ということもあるでしょう。それでもいいと思うのです。挑戦することで、成長につながると思います。自信をもってやったけど、うまくいかなかった。それも、また考えることにつながるのだと思います。間近に迫った冬休み、できること、やってみたいことにどんどん挑戦させてあげてください。

 とはいえ、私のやったような人に心配や迷惑をかけることはダメなこと。そういった区別も大切です。そんなときはこれはダメなんだということ、本当に心配したんだということを思った通りそのまま伝えてあげてくださいね。気持ちは必ず伝わるもの、すぐに変化は出ず、繰り返してしまうことも多いと思いますが、数年後には、少なくとも大人になるころには、きっと心配かけたな、といつか母の想いに気づく日がくると思います。

三尾 新

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