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【おたよりコラム】いろいろな形

 テニスの全豪オープンを優勝し、世界ランキング1位になった大坂なおみ選手。技術はもちろん体力や精神的な強さも本当に素晴らしいと思う。でも私が一番「あぁ、素敵だなぁ」と感じたのは、試合後のエピソード。大阪なおみ選手が記者会見を終え、お母さんに電話で試合の報告をしたときのこと。世界一になったという報告の電話だったにもかかわらず、お母さんは「おめでとう」と言うこともなく、「早く寝なさい」と体調を気遣った。大坂なおみ選手はそのやりとりのことを振り返り、笑いながら「本当に愛されているって感じた」と言葉にしていた。そのやりとりに、優勝したからなおみさんは素晴らしいのではなく、なおみさんが優勝し世界一になろうが、初戦で負けてしまおうが、それこそ、プロになっていなくても、そんなことは大したことではなく、なおみさんが元気で、なおみさんらしくいてくれさえすれば、全てよし、という大きな愛情でなおみさんを包んでいたのではないかな、と感じた。そして、そんな母からの愛情を素直に受け取ることができるなおみさん。それこそが強さの源なのではないかなと感じていた。

 私はなかなか母の愛情を素直に受け止めるということができず、母の愛情から逃げていたように思う。運動会にくることも、サッカーの試合をみにくることも、一緒に買い物に行くことも、一緒に街をあるくことも、嫌がっていたのは高学年のころから。母と面と向かって会話をすることすら避けていたように思う。そもそも母が日々心配していたり、私のことをどれだけ考えていたかということには、まったくといっていいほど気づいていなかったと思う。むしろ余計なお節介ぐらいに思っていたように記憶している。そんな残念な私だけれども、子どものころから母に感謝していたことがある。

 私の興味は1にも2にもスポーツという運動好きではあったけれど、運動以外のこともなんでも興味をもち、どんなことでもやってみたい!と思うタイプだった。その自分のやりたい!できるようになりたい!にいつも付き合ってくれていたように思う。やってみたかったけど、やったことがない、というものが思い返してもほとんどないように思う。身体を動かすことでいえば、サッカー、バスケ、テニス、カッコつけるための体操の技。どれも、お古だったり、学校の砂場だったりとお金をかけていたわけではないけれども、練習する場所や道具を用意してくれ、なんでも挑戦できていたように思う。運動以外でもそう。皮のものに焼いて文字をいれたり、のこぎりを使ったり、虫眼鏡でものを燃やしたり、顕微鏡をつかったり、いろいろなことをさせてもらっていた。また、新しいことに対するやってみたいと同じぐらいに、はまったことへのサポートもしてくれていた。小学校低学年のころにはトランプのひとり遊び、知恵の輪、おはじき、レゴ、高学年から中学生にかけてはジグソーパズル、建築模型作りと黙々と一人で行うことにはまっていた。普段はなかなかお菓子やおもちゃなどをねだっても買ってらえない家だったけれど、はまっているものに対し、満足してやりきれるぐらい環境を整えてくれていた。はまるものがみつかるまでにどれほど多くの「やってみたけど、はまらなかった」があったかを考えると頭が上がらない。本当にたくさんのことを体験させてくれていたと思う。子どものときから、なんでもやったことがある!という自信につながっていたし、なによりも挑戦することにワクワクするようになっていた。この「やってみたい」と「はまっていること」へのサポートは子どもながらに母が私を、私の体験を、わくわくした気持ちを大事にしてくれていると強く感じ、私にかける愛情のひとつとして感じとることができていた。

 愛情の形も、それを受け取る形も本当に様々だと思う。正解の形がないからこそ、精一杯ひとりひとりを想い描きながら、幼いころから私の中にたくさんためてもらった愛情を、今度はできる限り多くの人の心へ届けていきたいと思う。 三尾 新

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