【おたよりコラム】新しいもの
つい先日、新しいものを買った。スノーボードの板だ。わざわざ東京の神田まででかけ、うきうきしながら電車にのって帰ってきた。さいたま新都心の駅から板を背負い、暗い中、しばふハウスまでテクテクと歩いてもどってきた。お店が閉店ギリギリの時間だったということもあり、板全体をきちんとみるのも、触るのも、もちろん足につけてみるのもまだしていない。板をケースからだすと、わくわくが爆発、テンションがあがり、それから1時間ぐらい、板をつけてパタパタパタパタ動いて遊んでいた。雪もないしばふハウスの中で。 新しいものを手に入れると楽しくてしかたない。新しいサッカーボール、新しい知恵の輪、新しいジグソーパズル、新しいものを買ってもらうと、うきうきしてそればっかりに時間をつかってしまう。そしてそれはゲームもおんなじ。クリスマスプレゼントとしてサンタにお願いしたゲーム。私の家ではゲームは1日30分という制限があったけれど、やはりもらった日には「もうちょっと」「もうすぐで終わるから」という言葉をよく私自身、口にしていた。やりたくて仕方なかった。でもそのやりたいは数日で他に移っていく。私にはもっと大きな『楽しい』があったからだ。身体を思いっきり動かすこと、身体や頭を使って相手と本気で向き合い勝負すること、そういった楽しさが何よりも大きかった。もちろんゲームは楽しかった。それは間違いないと思う。でも、ゲームに依存しなかったのは、他の楽しいがあったからだと思う。ゲームばかりの子に対して、ゲームを禁止しても、余計にやりたいという方向に気持ちが動く。ゲームから離れて欲しいな、そう思う場合は、たくさんのことに触れられるよう、新しい世界や考え方に引き合わせていく、そうしてよりおもしろい世界やものに出会っていくことが、一番すてきな解決策のように思う。
成長していくと子どもたちはおもしろいものに出会う。新しく世界を広げてくれるもののひとつに。スマートフォンだ。これはとってもすてきな世界につながっている。ゲームと根本的に違うのは、人とつながっているという楽しさがあるということ。修学旅行の夜をイメージしてみてほしい。家にいる夜を毎日すごしている日常。そんな中に友だちと一緒にすごせる夜がくる楽しさ。それがスマホの世界なんだと思う。いつでも一緒にいる感覚。では修学旅行が1ヶ月続いたらどうなるだろう。きっと日常になってきて、早く寝る子もでてくるだろう。友達との果てなき会話を嫌がる人もでてくるだろう。1年間続いたら、パーティー感はなくなり、今度は逆に夜遅くまで起き続けている人が煙たがれるだろう。新しいものが加わると最初の数ヶ月は環境が変わり、生活や心が落ち着かなくなる。きっと買ったあとしばしの間、親にとって後悔したり、悩む時期がくると思う。でもそれは新しいものが自分にとってどういうものか考え認識するのに子どもにとって必要な時間なのだと思う。その時間を経て、自分なりの使い方、スマホとの距離の取り方を身につけていくのだと思う。スマホに関しては、持つか否か、使い方、迷い、悩むことはたくさんあると思う。夜の時間のLINEを、LINEの友人関係を、新しいアプリを、SNSを、どこまで許すか。よく学校などで危険性ばかり伝えられることがある。危険性はたしかにある。でも、スマホはこれからの子どもたちにとって切り離せないもの。危険だから遠ざけるのではなく、しっかりとした知識で自分を守ることこそ大事なのだと思う。いつまでも親が管理するわけにはいかない、子どもたち自身で考えることが重要になる。危険を正しく知り、誤った噂や情報に怯えることなく、自分なりに判断していく必要がある。そのようにうまく使うために考えるサポートをしていく。それが大人の役割かなと思う。 ゲームやスマホはあくまでも楽しんだり、便利になるための道具でしかない。道具に振り回されることなく、19時以降は使わない。水曜は使わない。今週は触らない。そんな手放す時間を当たり前につくれるような子になってほしいなと思う。自分で自分のとっている行動について常に考え、道具の先でつながっている人ではなく、目の前にいる人との時間や環境を大切にする。いってみれば当たり前なことではあるけれど、そんな心の持ち方ができる人になってくれたら、そう願う。
三尾 新