【おたよりコラム】安心を感じて
先日、母から電話があった。まったく連絡もしない私にしびれをきらしてだった。私が母の日にも連絡をしなかったことや、バレンタインの時に届いたチョコに対してもなにも連絡もしなかったことも指摘された。そしてコロナウイルスが広がっているのに、しばふハウスを開放していていいのか、なんで閉めないの?など、いろいろ言われてしまった。「いや、こっちはこっちでいろいろ考えているんだよ!」そう言いたかったけれど、なかなか言えなかった。強く言われることに、「なんだよ!」という気持ちも大きかったけれど、母のその言葉の裏に『心配』『不安』があることが伝わってきたからだ。最後、電話を切る前、たまには連絡しなさいといわれ、渋った様子の私に、言った言葉がこうだった。「いつになったってあなたは私の子なの、心配するの、それぐらいしかできることないんだからいいでしょ!」30歳をこえ、大人の私も母にとってはいつになっても子のままで、まさに『親の心、子知らず』の状態だった。 子どもは親の想いに気づかないことも多いけれど、子どもたち自身も気づかぬうちに受け取っていることも多い。なによりたくさん受け取っているのは『安心』なのだと思う。『安心』はとても大きな力になる。最初はお母さんのそばから離れられなかったところから始まる。お母さんがトイレに行って、見えなくなると、泣いてしまうような幼いころ。帰ってきたお母さんにくっつき安心をもらっていた。そして、近くにいると思うことができたら大丈夫と泣かずにいれるようになり、ついには1人でお留守番もできるようになっていく。ひとりで幼稚園や保育園にも当たり前にいけるようになる。ちょっと嫌なことがあっても、家に帰り、お母さんのそばにいると、ほっとする。また明日もがんばってみようかな、と思えるようになる。絶対にわたしの味方でいてくれる。そういう大きな安心を感じ続けるうちに、いつしかお泊まりも大丈夫になっていく。こうして離れていられる時間が長くなっていくのだと思う。こうして離れられる時間や距離が増えていくのと同じように、わからないことでも挑戦してみよう、失敗しても大丈夫。そう思えるようになるのも、安心の力によるものが大きいと私は思う。私のことを信じてくれた、わかってくれた、自分のために時間を割いて向き合ってくれた、そのように思える経験をどれだけ積むことができたのかが心の土台の部分になるのだと思う。そういった経験の積み重ねが『私は大丈夫!』という自信になる。失敗をなんどしてももう一度やってみようと思うためには、『私は大丈夫!』と思えるほどの、満たされている感が大事なのだと思う。 この満たされているという感覚はきっとすでに十分なほど子どもたちは親から受けている。子どもたちは些細なことから、安心を感じ、自信に、そして強い心になる栄養に変えている。 4月5月と先がみえない日が続きそう。先が見えないというのは本当に不安になる。いつか明るい世界が待っているとわかっているからトンネルは不安にならない。でも今は光が見えないトンネルに入りはじめたところ。そんな暗闇の中でも不安にならずに動けるようになるには、この「大丈夫」という感覚があればこそ。私も子どもたちに少しでも『安心』を与えてあげられる存在でいれるように、常に味方になれるように、ひとりひとりまっすぐ向き合っていきたいと思います。 母親からの電話を受けたものの、今後どういったタイミングで連絡するものなのか、悩む私がいる。なんとも連絡しにくい、そう思ってしまう。便りがないのは良い便り、と思ってもらえないものか。そんなことをいったら怒られてしまうかな。想いは伝えないと伝わらないものですね。
三尾 新