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【おたよりコラム】一緒

 ガタンゴトンとゆられること1時間。青い手さげバッグの中でゆらされながら3匹の赤ちゃんうさぎがやってきた。手のひらにおさまる大きさで。生後1ヶ月と少し、3月27日生まれの兄弟たち。母親うさぎと離され、さみしいこともあったのではないかと思うけれど、3匹が一緒だったからか、みんな元気にやんちゃをし、ごはんをよく食べ、よく寝ていた。それが1年前の5月5日のこと。「小動物がいる学校も減ってきて、子どもたちにとって命の大切さを感じる機会が減ってきているのではないか」そんなことを横浜のとある喫茶店でマスターに話したことがきっかけだった。「ちょうどうさぎの赤ちゃん生まれているんだけど、どうだ?今日だったら連れてってもいいぞ」唐突な言葉がとんできた。予想もしていなかった。「何時までに回答すればいいですか?ちょっと考えさせてください!」そういって喫茶を後にしたのだけれど、もうその時にはしばふハウスに連れて帰ろうと心の中ではきまっていたのだと思う。  私は子どもの時、小型の犬を飼っていた。ジャックラッセルテリアという犬種で小型だけど元気いっぱいのわんこだ。飼い始めたのは小学5年生のとき。その時、私は大の犬嫌いだった。学校帰り同じ道で犬とすれ違うことすら嫌がり、道を変えてしまうほどの嫌いっぷり。そんな私の家で飼うことになった。小型犬の赤ちゃん。小さくてまだソファにものぼってこれなかった。ぴょんぴょんと元気よく近よってくるのだけど、それが怖くて私はピアノの椅子の上に逃げた、人生初の長ズボンを履きながら。まさに下に降りたらサメに食べられるというような心境で。  そんなスタートだったけれど、すぐに打ち解け、一緒に遊ぶようになった。打ち解けられたのは、リブラ(犬の名前)がいろんなことを感じ、考えていることがあるとわかったからだった。そこからはもう一緒に遊ぶ相手であり、アジリティというタイムトライアルの障害物走を一緒に戦う相棒であり、そして悩みをいつもきいてくれる相談相手となった。中学生高校生といろいろことに悩み、いらいらしている時も、家に帰ると全力で喜びを表現しながら迎えてくれ、いつも近くにくっついていてくれる。座っていたら足の上に、寝転んでいるとお腹の上に。そう書きながら思った。きてもくれるけど、リブラが寝ているときは、そこによっていき、くっついていたのは私の方だったかもしれない。でもそれを嫌がることはなく、いつも受け入れてくれていた。一緒に歩いたり、走ったりしても、2秒に1回ぐらい頻繁にこっちをみてくれる。そして私もこっちを向くのを逃さず、目を合わせ、一言話しかける、それがもう楽しくて幸せだった。リブラがいたから今の私がいるのだと思う。イライラしていて「よってこないで!」とリブラを振り払ったときでさえ、少し離れたところから見守り、また近くに来てくれる。どんなときもリブラが愛情をいつもいつも私にたくさん注いでくれていた、なんでも受け入れてくれることの偉大さ、絶対的な安心感を小さな体で教えてくれた。  動物と人という名称の違いはあるけれど、心あるものどうし同じなのだと思う。たくさんの時間を一緒にすごし、たくさんのコミュニケーションをとり、そしてお互い大好きだと信じ、相手をそのまま受け入れる。リブラに教えてもらった信頼の作り方。今、なかなか会えない子もいる。それでもひとりひとりを想うその想いが届くぐらいめいいっぱいの愛情をもって、日々をすごしていきたいと思う。そしてまた会えた時、マスクもはずれ、その子の笑顔が溢れ出してくるのがわかる。そんなふうに関係が深まっていたらいいなぁと思う。

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