【おたよりコラム】その人をあらわす

July 1, 2020

 「よし、休み時間だ!」キーンコーンカーンコーンというチャイムのその『キ』の音が聞こえるか聞こえないか、その瞬間に走り出す。階段をも駆け下り、校庭一番乗りを競う。休み時間も放課後も外に出て汗だくになって、全力で勝ち負けにこだわって運動をする。それこそが喜びだった子どもの私。そんな子どもの私にとって、この梅雨という時期は好きになれない季節だった。遊べず体力を持て余すしかなく、そんな自分にさらに追い討ちをかけてくるのが『読書』だった。雨の多い時期、本を読むことを勧められる。でも私は本が好きになれなかった。私が本を手に取ったのは読書週間などで誰が一番本を借りたかがランキングになるときぐらい。競争に勝ちたいという一心で読んでいた。でも残念ながら本を自分から読みたいという気持ちになることはなかった。
 そんな様子で本を読まない私だったけれど、知っている言葉の幅は広かった。本好きの真面目な姉がいたということもあるし、母がたくさんの言葉を使って話してくれたことで言葉が広がっていったのではないかとも思う。でもそれ以上に自分の言葉を広げられた理由が2つある。ひとつは中学受験をしたこと。四字熟語やことわざなどをはじめ、たくさんの言葉を知った。ジャイアンがのび太の田んぼに流れるはずの水を奪って、自分の田んぼのために水を横取りしているという『我田引水』のドラえもんの4コマは、いまでもその絵をはっきりと思い出せる。知識がどんどん頭にはいっていく時期、今、私がもっている言葉の引き出しはそのころに身につけたものが多いといえる。これを中学受験をしたからこそ得られた機会ということもできるけれど、中学受験が言葉を豊かにするということではない。「初めて知った!」「知っている人すごい!!」そう思うきっかけを作ることこそ大切で、私の場合、中学受験がそのきっかけになったということだと思う。そんなきっかけを増やすためにも、普段関わらないものごとを教えてくれる人や本とのたくさんの出会いが大事だと思う。そしてもう一つは、受験より後に言葉を広げてくれたのは、格好つけの無駄なプライドのおかげだった。友だちとの話の中で、知らない言葉がでてくると、あたかも知っているかのように振る舞う、つまりしったかぶりをしてしまうのだ。本当に無駄なプライドとしか言いようがないし、「それはどういう意味?」と素直に聴けることこそよいことだと思う。でもしったかぶりのおかげで言葉が広がったのは事実。もちろんしったかぶりのまま終わっていたら、いいところはない。でも、悔しくて調べたり、きいたりして、「知っているフリ」を「本当に知っていること」にどんどん変えていくことができた。その知ろうとする、知らなきゃと思うことが私自身の言葉を広げることに役立ったなと感じている。
 たくさんの人や本との出会いとや対話の量は、その人の言葉の量を増やし、これから歩める道の幅を広げてくれる。言葉はその人を表してしまう。学校の先生、スポーツ選手、よく人と遊びに行く人、ゲームに時間を使う人、本当はひとりひとりちがうのだけど、なんとなく同じような言葉を使っている。言葉はその人が所属するものやその人の生活スタイルまでもを表すこともある。そして、その人の考え方、性格、家族との関係、そんなものまで表してしまう。それが言葉だと思う。言葉の幅を広げ、自在に扱える言葉の種類が多くなることは、その人の幅を広げていくことと同じだと思う。言葉を広げるためにもきまった友達や知り合いだけではなく、新しい人や本との出会いをたくさん作る。そうして、相手に大きなやさしさを感じさせられる言葉を選べるようになれたらいいなと思う。そして言葉を研ぎ澄まし、自分だけの言葉をみにつけてほしいなと願う。そのために今の私にできること。同じ子ども同士だけではなくもっと幅広い年齢の人がいる対話の場、そんな場を用意できたらいいなぁと思う。子どもの頃の私自身はそんな場では話すこともできなかったと思うけれど、、
      三尾 新

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