【おたよりコラム】「家の顔」と「外の顔」

 「あつい!というか痛い!」「 服ぬらしたのに、すぐ乾いちゃう~」「うわ、鍋の持つところが溶けた!!」汗を流し、熱さで身体を真っ赤にしながらも、炎と戦い料理をする高学年の子たちがいた。めちゃくちゃ熱くて過酷な場所。役割というわけではないので離れてもいいし、離れたら楽なことは間違いない。それでも料理ができるまで長い時間、離れていく子はいなかった。  先の様子は今年のこどもキャンプでの出来事だけれど、キャンプに限らず、この夏休み、楽をするのではなく、大変なことを楽しむ子たちをたくさんみてきた。列の一番後ろに並び、みんなをフォローする子。ボールが遠くにいってしまうのをみつけると毎回走ってとりにいく子。全員が使ったコップを洗ってくれる子。ものすごくキャッチするのが難しいボールに、何度も挑戦し続ける子。誰もできない知恵の輪を粘り続ける子。暑い中ずっと立ちっぱなしで、射的のお店をやってくれた子。どの子も私からやってとお願いしたわけではない。自分でやりたいことをみつけたり、できることを探して「もう一回やりたい!」「重い荷物もつよ!」「みんなの水いれてくる!」「手伝えることある?」と積極的に声をかけ、自ら動ける子ばかり。とてもすごいなぁと感心しつつ、誇らしくなる。

 そんな子たちと比べると、残念ながら私は「めんどくさいし、どうせ怒られるからピアノの練習はしたくない」「メダカの水槽の水を変えるの大変だからやだ」「家族で出かけるのは楽しくない」と文句ばかりで、人の助言を聞かず、約束や時間は守れない、どうしようもない子だった。でもそれは家の中でのこと。どこでもどうしようもない子だったわけではない。外面がよかったと言われたら、それまでなのかもしれないけれど、外で「めんどくさいから嫌だ」と家族以外の人にいうことは少なくて、むしろ外だと大変なことでも率先してやっていたように思う。なんなら暑い、寒い、重い、疲れる、そんな中の方がより動いていたように思う。家族ではない外の大人に「がんばっているね!」「すごいね!」そう声をかけられることの喜びや、やっていない人がいる中で自分はやっている!という特別感が気持ちよかったのだと思う。大変なことを誰かとしているときの、そのメンバーにしかわからないなにかを共有できているような通じ合う感覚・仲間意識にワクワクしていた。こういう気持ちよさやワクワクを味わってしまうと、もう後戻りはできない。がんばってみる→認められるは中毒性が非常に高い。低学年ぐらいまでは家族でもだれでも認められると嬉しいと思えるけれど、大きくなるとそうもいかなくなる。褒められた言葉を素直に受け止められない時がある。特にそれが身近な人ほど複雑になる。なかなかに難しいタイミング。だけど、大人になるために必要な時期。助けてもらわなくてもひとりでできるよ!と言いたいし、もう一人前の大人だと認めてほしいという気持ちもある時期。自立にむけて成長している証。ただ、それならそれで頑張ってる姿を家でも見せたらいいのに、甘えてくるし、だらけるし、認めてって思ってるんならちゃんとやりなさいよ、とつっこみたくなることも多いのではないかと思う。この時期まできたら、家の外に子どもが信頼や尊敬できる距離が近い大人がいるかが、とても大事になってくる。学校の先生、親戚、スポーツのコーチ、なんでもいい、どんどん外にでてすごいと思える大人に出会ってほしい。その出会いは一生に影響を与えるほどの出会いになることもあると思う。

 『獅子の子落とし』『可愛い子には旅をさせよ』とはよくいった言葉。「谷底でも旅の中でもひとりでがんばりなさい」なんて一言もいっていない。良い人との出会いがきっと待っている。外の人と出会ってきなさいということなんだと思う。子どもたちが信頼できる身近な人に出会えるようにいろいろな機会を作っていきたいなと思う。そして私も子どもたちひとりひとりの心を受け止められる存在になりたい。 三尾 新

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