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【おたよりコラム】心配の裏で、みていた世界

 小学3年生のころ、私はプールを習っていた。プールの場所は家からだいたい4km弱、与野イオンから北浦和駅ぐらいまでの距離。いつも母に車で送ってもらっていた。夏休みのある日、時間がいつもと違い、昼すぎぐらいにプールが終わった。さっと着替えて外にでてきたけれど、いつもいるはずの通りにまだ迎えの車はきていなかった。もしかしたら、近くにとめれなくて、ちょっとずれたところにとまっているのではないか。そう思い、車がきたときに絶対にみつけられる範囲をちょっと見にいってみた。見にいってはもどって、またちょっと離れてはもどって、と数回繰り返してみた。それでも車はみあたらなかった。何度か繰り返すうち「いつも車でくる道をすすんでいけば、絶対にすれちがうことはない!」「道はそこそこ大きな通りだけれど、片側1車線。しっかり車をみていれば、大丈夫!」「母も見逃すはずはない!」そう思った。通る車をしっかりみながら、ゆっくりと、ゆっくりと、歩き出した。すれ違っていないかと心配で振り返りながら歩いていた。しばらく歩いているうちに「きっとここまで歩いていたら、お母さんびっくりするだろうなぁ」「ここまで歩いたことをすごい!と褒めてくれるんじゃないかな」と思うようになっていた。そうプラスに思いはじめたら、もう止まらない。自分はすごいことをしている、と、ひとり冒険に出たような気分になっていた。1kmをすぎたあたりからは、心配や不安はすっかりなくなり、会えなくても家に行けば大丈夫でしょ!と気は大きくなっていた。どれくらいの時間がかかったのかは覚えていない。でも、最初から最後まですごくワクワクして、あっという間だったことを覚えている。いまだに歩きながらみた景色を思い出せるほど、心に残る大きな経験だったのだと思う。そんな充実した時間をすごし、私は家に無事たどりついた。母が乗る車と出会うことはないままだったけれど、ひとりで家まで歩いて帰ってこれた!と、ものすごい達成感だった。その達成感に浸りながら、鍵をもたない私は家の前で、あることを思い出した。今日、このあとピアノのレッスンだ!と。ピアノを習っていた場所は、プールと反対方向に4kmぐらいの距離。でも私の中の声はこう叫んでいた。「ピアノもいっちゃおうかなー」「道はわかるしいけるでしょ!」「今の自分ならなんでもできる!」そして次の冒険がはじまってしまった。  結局、その後、私の冒険はピアノ教室のあたりで終わったというざっくりしたことしか覚えていない。ピアノの先生に連絡を受けたのか、母がなんとかしてみつけたのか、実はまったく覚えていない。きっと母は探しながら、事故や誘拐などの悪い想像に、迎えが遅くなったことの後悔にと生きた心地がしなかったのではないかと今は思える。ただ、そのときの私はワクワクでいっぱいで、母の心配などまったく考えもせず、すごいことをした私を母は褒めてくれるだろうと呑気に思っていた。母に見つかった時、怒られたはずなのだけれど、実はそこは覚えていない。褒められるはずだった私は、すごいことをしたのになんで?と、ちゃんと話を聞いていなかったのだと思う。重い雰囲気の広がる帰りの車で「車をおりて、歩いて帰りたい」と窓の外をみながら思っていたのを覚えている。

 その失踪事件ともいえる出来事のあと、変わったことが2つあった。1つは習い事のときにPHSをもたされるようになったこと。そして、驚きなのは、もう1つの方。習い事の帰り道、たまに歩いて帰るゆるしがでたのだ。もちろん、様々な条件が設けられた。車で後ろをついてきたり、途中のスーパーが母の待つチェックポイントになったり。条件はついているけれど、大きな不安を感じた後で、この決断ができた母はものすごく偉大だと改めて思う。「子どもを信じた」といえば簡単だけれども、そんな簡単な判断ではないし、きっと様々な葛藤を乗り越えての決断だったのではないかと思う。

 11月は母の誕生月、久しぶりに自分から連絡のひとつでも送って、自分のなにが大変だったか、がどれほど親泣かせなだったのかきいてみようかなぁと思う。 三尾 新

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