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【おたよりコラム】自分をワクワクさせられるように

 「三尾っていつもなんか読むよね」ついこの前、道を歩いている時に言われた言葉。読んでいるのは本とかではなく、歩きながら目に入ってくる文字。表札とか、看板とか、道にかかれた文字とか。前にも子どもたちを連れて歩いている時にも同じようなことを言われたことがある。そして大人だけで散歩していた時にも。子どもがいるから、とかではなく、ただただ無意識に読んでいた。「笠原、小澤、小宮、、」と表札を読んでいたり、車のナンバーや熊谷、札幌、川崎などの地名を読んでいたり、ふと気づいたら文字に目がいっていることが多い。そのことを指摘されて、みんなは歩いているとき、なにをみて、なにを考えているんだろうと不思議に思ったほどだった。

 きっとこの文字をみたりするのは、みていると楽しいという思い出がたくさんあるからじゃないかと思う。小さい頃、車にのっているときでも、バスや電車にのっているときでも、「あそこなんて書いてある?」「『電気』という文字はどこにあるでしょう?」などと見えるものから母がクイズをよく出してくれていた。それこそ、文字だけではなく、通る車の色が黒と白どっちがおおいか、車のナンバーや電車の切符の4桁の数字があれば、足したり引いたりして10をつくるゲーム、つぎの電柱まで何歩か。そんなことばかりしていたのを覚えている。車にテレビはなかったし、動画が見えるスマホなんてもちろんなかった。持ち運びできるゲーム機は持っていなかった。それでも移動時間や待ち時間が退屈だと思うことは少なかったように思う。きっと本当は退屈に感じた事もたくさんあったのではないかと思う。それでも、やることがなくてひま、となっていた記憶は少ない。小さな紙でもあれば、折り紙に。ペン1本からでも、見える絵や文字からでも、遊びが生まれていた。ちっぽけで、たいしたことのない遊びだけど、とてもおもしろい世界がいつも目の前に広がっていた。 そうやって目の前のことで遊びをみつけることを当たり前に過ごしていた私にとって、今の子どもたちの世界は、遊びを自らつくりだすことが難しくなるぐらいに、その子を満足させてしまうものが手元にあふれていると思う。たくさんのものがひとりひとりに合わせて用意されていると言えるかもしれない。テレビで自分のみたい番組をまつこともなく、録画された好きな番組を好きなタイミングに、さらにはCMを飛ばしながらみるようにもなった。自分の興味のある動画だけがみれるyoutube、どんなときでも誰にも邪魔されることなくできるゲーム。快適にすごせるようになったかもしれないけれど、関わるものは自分の好きなものだけで、興味のないものに触れる機会がぐんと減り、何かに合わせる事も待つことなく、どんどん入ってくる用意された楽しさにただただ時間を奪われている。全てがそうではないけれど、そんな傾向があるのではないかな、と思う。自分を楽しませてくれるものがいつでもある、そんな環境が当たり前に身近にあり続けると、最近よく聞く言葉に繋がっていくのだと思う。原っぱや川に子どもたちをつれていったときに聞こえてくる「ここでなにができるの?」「どうやって遊ぶの?」「つまんない」という言葉。なにかその場にあるものが自分に合わないと「めんどくさい」「やらない」という言葉。そんな言葉をきくと悲しくなる。 自分の五感をフルにつかって感じとり、自分で考え、何もないところでも自分で生み出し、自分で変えていく、そんな楽しみ方ができるような子になってほしいと、自分で自分をワクワクさせられるようになってほしいと、私は願っている。

 しばふハウスの夏のイベントの申し込みがはじまった。どんなときでも自分の心持ち次第でどこまでも楽しみは作れる!そんな風にこどもたちが感じられるように、どんなときでも楽しめちゃう姿を子どもたちにみせていきたい。それが雨でも、電車の中でも、長い歩きで疲れている時でも。母がみせてくれた、ちっちゃなおもしろいがつまった世界を今度は子どもたちにみせながら。

三尾 新

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