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【おたよりコラム】親の楽しいを追いかけて

 与野夏祭りに花火大会。今年は4年ぶりに開催されるイベントも多くて、お祭り好きの私にとってはとっても楽しみな夏になりそう。「花火大会はどこにいこうかなー」などと考えているときに、ふと思った。お祭り好きになったのはいつからだろう、と。

 私が最初に覚えている夏祭りの思い出といったら、おそらく幼稚園のころ。少し暗くなってくる時間帯にでかけられるワクワク感。家の玄関で浴衣の帯をしめてもらったり、履き慣れない下駄をはいたりする特別感。暗くなったお祭りからの帰り道、羽化する前のセミを発見し、家まで持ち帰り、羽化して羽がのびていくのをじっとみていたことぐらい。不思議なことにお祭りで何をしたかはまったく覚えていない。それが最初のお祭りの思い出。ちょっと大きくなり小学生の低学年ごろの私はどうしていたかというと、お祭りがおこなわれる家の近くの公園に朝から見にいって、やぐらだけあるだれもいない公園をまわってみたり、お祭りの翌日の朝におもちゃの金属探知機をもって出かけ、お金が落ちていないかと探して歩いたりしていた。こうして書いていると、なにかお祭りそのものが好き、というより、みんながワクワクしている特別な雰囲気が好きなのかもしれない。そして人よりお祭り好きなんだろうなと自覚してきたのは小学校5、6年のころ。この頃になると、親とは行かず、ひとりでお祭りに行くようになっていた。私の地元では、地域の公園ごとにお祭りが行われていた。どのお祭りも誰かと約束して待ち合わせることはせず、行けばだれかいるだろうから、まずはいってみるという考えだった。1週目は家の近くの第三公園、2週目は2kmぐらい離れた大公園へ、そして3週目は第二公園と他の学区の丸山台公園の2つのお祭りをいったりきたり。とにかくいけるお祭りは全部いっていた。お金がなくなっていても、お祭りにいって、屋台の周りを歩いているだけの日もあった。というより、ほとんどお金は使わずにいつもぐるぐるまわるだけで帰ってきていた。家族から「またいってたの?」と言われるぐらいお祭り三昧だった。

 こうしてとにかくいろいろなお祭りに顔を出すようになったのは、通っていたサッカーの少年団がお祭りでお店をだしていたということも理由のひとつだと思う。お祭りにいけば知っている人が必ずいて、なんだかんだお店の裏側に自分の居場所があるという特別感が好きだったのだと思う。そして少年団のだしているお店のどこかに母もいた。小学校低学年のとき、お祭りのお店をやる母に連れられ、当たり前のように一緒にいろいろなお祭りに行っていた。それが『いろいろなお祭りに行くものだ』と思うようになったきっかけになっていたのかもしれない。高学年になると一緒に行くわけでも、一緒に行動するわけでもないけれど、同じ賑やかな雰囲気の中で母も楽しんで働いていた。自分の親がたくさんの人の前で、楽しみながら頑張っている様子はとても誇らしく、好きな光景のひとつだったのかもしれない。  お祭りに限らず、父親がやっていた日曜大工、母がやっていたママさんバスケ、親が当たり前にしていたことを自分は好きになっているのだと気づいた。自分たち子どものためにしてくれたことはきっと嬉しかったと思う。でも、もしかしたら、あまり構ってもらえないけれど、親自身の楽しみとしてやっていることを近くでみたり、関われることのほうが嬉しさは大きかったかもしれない。

 きっと誰かが好きで、楽しそうに取り組んでいる姿をみたら、やってみたくなる。それが大好きな親の楽しそうな姿だったらなおさら。そうした親の好きを感じ、追いかけて、今の私が出来上がっているように思う。夏休み、私自身の好きに従って、素直に行動していきたいと思う。それをみた子どもたちが、自然とやってみたい、そう思うような機会をたくさんつくっていけるように。

三尾 新

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