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後悔したこと

 春休みの最初、与野体育館でしばふ大運動会というイベントを行った。その中で私はとても後悔したことがあった。

 今回のしばふ大運動会は60名ぐらいの子どもたちが参加してくれた。年齢は、小学生がおおいけれど、未就学児もまざったごちゃまぜのイベント。そんな子どもたちが3チームにわかれていろいろな競技とチームワークを競い合う。ただ勝つだけではなく、お互いに助け合ったり、素敵なことをしていると加点されるのが、この運動会。運動会は怪我もなく、盛り上がって順調に終わり、最後は順位の発表。1位、2位、3位とチームが発表されるときに、そのチームに、景品としてお菓子が大量に詰められた大きな袋が渡される。景品は一人ひとりにではなく、あえてチームでひとつにまとめて渡している。その大きな袋にはひとり10種類ぐらいもらえる量のお菓子、20人ぐらいのチームなので200個ぐらいのお菓子が詰まっている。そして「運動会最後のチームワークの見せ所、ここでケンカしたり、誰かが悲しんだりとかしていたら嫌だなぁ」などと声をかけ、あとは子どもたちに分けたり、配ったりする作業は任せている。いろいろ考えて欲しくて。でもこれがなかなか難しい。だいたいどのチームも小学生の高学年の子がああしようこうしようとわける方法を考えてくれて、それでお菓子が配られていくことが多い。でも、みんなが同じものを同じ数ずつもらうようにはなかなかならないもの。でもみんながある程度納得できていたらそれでよいとも思っている。そんな大変なお菓子わけがだんだんおわってきたかな、というタイミング。来てくれていた大人の方から「この子あんまりお菓子もらってないみたい。欲しい人が多くもらえるようになっていたかも」と声をかけてもらった。確かにその子のもっている袋には、お菓子が少ししか入っていなかった。その様子をみて「あぁそれは残念。みんな同じだけもらえるようになってるんだけどな~」と思いながら、私はそのチームのお菓子のところにいって、声をかけた。「お菓子少ない子がいるみたいだよーそれって悲しい分け方じゃない?それは嫌だなぁ。もう一回みんなで集まってちゃんとやり直そう」と。

 私が後悔したのは、その自分で発した言葉にだった。たしかに事実だけ見ると、子どもたちの間に数のばらつきがでてしまっていたのは間違いない。でも、そのチームをまとめてくれていた子はちゃんとみんなが平等になるようにと考えて、ひとりひとり順番に好きなお菓子をとっていけるように考えてくれていた。それも、好きなお菓子や嫌いなお菓子もあるから、と考えてくれていたのだ。同じものが同じ数だけになることだけが平等ではないし、好きなものから順番にとっていくというのもひとつの平等の形だと思う。そのチームはしっかりとみんなが楽しみながら、お菓子を手にしていたのだ。その様子はみていたはずなのに、お菓子が少ない子をみて、ああ、やりなおさなきゃと安易に思って、そのままやり直そうと伝えてしまった。どうして、その子だけ少なくなってしまったのかの理由はわからない、もしかしたら、ふらっとお菓子を分ける場から離れてしまったかもしれない。自分の番だよと言いにくかったのかもしれない。いろいろと理由はあるかもしれない。だれも悪くない中で「やり直し」という今までに頑張ったことを全てなしにしてしまう伝え方をしてしまった自分にとても嫌気がさした。でも子どもたちは、みんな優しかった。「もういっかいやろう!みんな一回お菓子集めなおそう!」そうチームの子に声をかけてくれたのは、お菓子をわけるルールを考えてくれた子だった。本当に感謝しかない。 子どもたちに救われているのは、この時だけではない。日々子どもたちと接する中で、こうしたら一番よいかな?と考えて言葉をかけたり、行動するけれど、もっとこうすればよかった、と後悔することがとても多い。そんなときでも、いつも文句も言わず受け止めてくれるのは子どもたちだし、ひどいミスに嫌な思いをしただろう子も、すぐ切り替えて接してくれる。全然立派でもない私だけれども、すこしでもひとりひとりの気持ちがプラスになるように、丁寧に考えて働きかけていこうと思う。最善ではない自分を許してくれる子どもたちに感謝をしながら。

三尾 新

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