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【おたよりコラム】やってみる

 「バチッ」一瞬のできごとだった。学習机の電気のあかりが消え、こげたような香りと、すこしの煙。おそらく小学校の高学年のときだと思う。紙、練り消し、ボールペンの芯、コンセントの片側にいろいろなものをいれて遊んでいた。しかしなにも起きない。なにも起きないというのはつまらない。「両方の穴に一緒にいれたらどうなるんだろう」「一番電気を通すのは、クリップだろうな」「さわると危険だな」たくさん考えての結論。クリップを伸ばして形を変えて、それを鉛筆2本を箸のようにしてもつ。そしていざコンセントへ。結果としては「大変なことをした!」「親にバレないように」というあせる気持ちと、「大発見をした!」というわくわくした気持ちがあった。このときに、子ども用の学習机には感電を防止するためにヒューズがはいっているということを知り、そのヒューズが焼き切れていたこともしった。でも焼き切れたヒューズを姉の学習机のものとこっそり入れ換えようとしたけれども、机によって形が違って入れ替えれないということもしった。学習机のコンセントでなかったら危うく感電していたかもしれない。そう思うと危険なことをしていたなぁと今になって思う。これを好奇心といえば、素敵なことのように感じるけれど、子どもたちにやってごらんと言えるわけもなく、間違ってもお手本にはなれない。

 先に書いたものは、行き過ぎた例ではあるけれども、どうなるんだろう、どうなっているんだろうという興味がとても大きく、ラジオ、ラジカセ、テレビ(買い替えのタイミングで)、コンセント、キーボード、いろいろなものをひとつひとつネジを外し、分解して遊んでいたし、ボールの中がどうなっているのか、靴の底がどうなっているのか、どれも壊してみたこともある。そう書いていて思う。好奇心があっても、そういうことができる環境にないと「やってみる」ということまでたどりつかないのだろうなぁということ。このそういうことができる環境というのは分解するための道具があるかないか、そして分解できるものなんだと知るきっかけがあったかどうかのこと。親が「やっていいよ」といっているかどうかは、私自身、親にかくれてやっていたので、一旦置いておこうと思う。

 このやってみようと思える環境は、なにもこんな変なことだけに限らないと思う。発言してみたい、聞いてみたい、という気持ちも、絵の具をつかってみたい、スライムをつくってみたい、という気持ちも、スポーツがしたい、この技をやってみたい、という気持ちも、楽器にさわってみたい、演奏してみたい、という気持ちもどれも同じだと思う。ちょっと芽吹いたその気持ちを「やってみたい」から「やってみる」に変えるためには、「やれるものなんだ」としっていることが大事だと思う。そしてその「やれるものなんだ」ということを教えてくれるのは、両親だけではない。お友だちかもしれないし、ちょっと上のお兄さんお姉さんかもしれない。近所のおじちゃんかもしれないし、大道芸人かもしれない。たくさんの出会いの中で、「やってみたい」を「やってみる」に変えれる力をためていってほしいと思う。

 ゴールデンウィークもおわり、学校でもいろいろなイベントが行われる。家族でも外に出やすい時期なのではないかと思う。たくさんの人と出会い、たくさんのことを感じ取ってほしい。そして、実際にやってみたことを増やし、知識も経験も増えていってほしいと思う。もちろん、危険があることは十二分にみんなで気をつけあいながら。

三尾 新

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