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【おたよりコラム】出会いが今につながる

 しばふハウスに待望のピアノがきた。しばふハウスを作ってから2年半、あったらいいな、とずっと思ってきたものだった。次の4月から土曜の午前にリトミックがはじまる。その先生が置いておくから楽しんでといってくれたのだ。もう誰よりも楽しんでいるのは私自身。朝から弾いていたり、気づいたら夜も遅くまで弾いていたり、とにかく時間を忘れてしまうぐらい楽しんでいる。そして子どもたちがピアノに触れているのをみると楽しさが増える。「その曲やったなぁ」「あぁ、自分もこのころ姉と連弾していたなぁ」などと思うことも多く、弾いてみたいという気持ちがさらに大きくなる。そして実家から中学生のころに弾いていた楽譜のスクラップブックを送ってもらった。弾くことが楽しかったときの楽譜。その楽譜をみていたのは、かれこれ17、18年前。でも耳が曲を覚えている。そして手も曲を覚えている。でも残念なことに、指が動かない。悔しくて弾く。そうすると少しずつ少しずつ動いてくる。動かない指、全然うまく弾けないのに、ピアノが楽しい。  ピアノを楽しんでいる私だけれど、小学生の私はピアノが大のつくほど嫌いだった。練習を強いられること、譜面通りに弾かなければならないこと、そしてきっちりやりきる姉と比べられることが本当に嫌だった。大嫌いのイメージが強い小学生のころだったけれど、私のピアノの原点は「楽しい!」と思えるものだった。ピアノに関わったのは姉が小学1年生ではじめたピアノのレッスンについていったこと。そして、ピアノの下で眠ったり、ピアノを触ったり、ペダルを踏んだり、やりたいように遊ばせてもらっていた。私にとってピアノは遊ぶものだった。でもその先生は引っ越してしまい、次の先生に。2人目の先生はあまり覚えていない。その先生はすぐに結婚し、ドイツへ行ってしまった。そして3人目の先生に。3年生ごろから6年生まで習っていた先生で、先に書いた「ピアノは嫌い」となっていたときの先生でもある。『音楽大学に進ませる』そんな感じの先生であった。私がやりたいのはピアノで楽しむこと。オクターブ高くしてオルゴール調で弾いてみる、ペダルを踏みまくるなど、ピアノで遊びたかった私にとっては、おもしろくないときだった。そして、大きなホールでの発表会。ピアノの前まで進み、お辞儀をして椅子に座る。手を鍵盤の上に置くが、そこで頭が真っ白になって固まる。きっとたった数分のことだったと思う。でも「何もできない」「どうしよう」そんな恐怖の時間が永遠と続いたように感じた。その後どうなったかは覚えていないのだが、この経験もピアノ嫌いの背中をおしたひとつだったと思う。そして、中学受験を言い訳のようにしてピアノをやめた。でも不思議なもので、「ピアノはやりたくない!」そういっていたのに、やめた後、家で弾くピアノが楽しかった。気晴らしに弾くピアノ、むしゃくしゃしてるときに感情をぶつけるピアノ。なんだかんだでたくさん弾いていた。ピアノが楽しく、もっとできるようになりたいと思っていた私に、中学に入学した後、母に「楽しくできそうなピアノが近所ではじまるみたいよ」と教えてもらった。そして初めて習いにいったときに心を掴まれた。レストランのホールで弾くような心を落ち着かせるような曲。私が好きな曲調だったのだ。それからというもの、骨折していてもレッスンに行き、いろいろなことを教えてもらい、結局大学受験直前までピアノを習った。ピアノをやめた今でもその先生とは繋がっている。その先生との出会いがなかったら、今こうしてピアノを楽しんでいる私はいなかったと思う。  たくさんの先生と関わって思う。どの先生からも得たことがある。楽しさ、おもしろさ、技術、感性。たくさんの先生方に触れたからこそ身についたことの幅も広い。先生との相性はあると思う。でもそれは決して良し悪しというわけではない。どの先生との時間も今の自分に繋がっている。ピアノだけではなく、人との出会い、経験は思っている以上に長く、大きく自分に影響を与えてくれているんだなと感じる。私自身、子どもたちや保護者のみなさんとの出会いから影響を受けながら、今度は影響を与える側としてもプラスに働く存在になれたらと願う。そんなことを思い出させてくれるピアノ。動かない指を必死に動かしながら、ピアノのある生活を思いっきり楽しんでいきたいと思う。

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