【おたよりコラム】嘘つき

 親がいないタイミング。留守番、ひとりだけ、そんな言葉にすごくわくわくしてしまう子だった。ダメと言われるようなちょっとしたことをやってみれるタイミング。パソコンをつけて、マインスイーパや四川省というゲームをやることもあった。親が車で帰ってくるのを見つけると急いでパソコンをきって、何事もなかったふり。バレていないと思っていたけれど、バレバレだった。私は隠すということがものすごくたくさんあったように思う。親のいないとき、いいこと思いついたとばかりに庭に布団をだしてバク転の練習。しっかり布団を部屋にもどして、これでばれない!と思っていたけれど、帰ってきた母に廊下に芝がたくさん落ちているのが見つかり「なにしたの?」と疑われ「特に何も。宿題してた」と言ってみたことも。他にも、家の前でボールを壁に蹴って遊んでいたら、表札にぶつけ割ってしまった。何事もなかったように戻らないかと工夫するも戻らず。結局帰ってきた親に言った言葉は「なんか表札われてたよ」だった。学習机のコンセントにクリップを突っ込み、ばちん!とショートさせてしまったこともあった。ヒューズという部分が壊れてしまったので、急いで姉の部屋にいって姉の勉強机のヒューズを自分のと交換できないかと試行錯誤。でも机の色が異なり交換ごまかし作戦は失敗。親に机の電気がつかないことに気づかれアウト。バレてからいう言葉は決まって「ちがう!やってない!自分じゃない!」だった。もうやったのは、自分しかいないでしょ、というような状況でも姉のせいにしたり「知らない、わからない、でも、」とがんばって嘘を通そうとしていた。  こうして一生懸命、嘘をつき、ごまかし続けてきた。なんでそんなに頑張ってごまかすのか。嘘をつけばつくほど、その嘘に嘘を重ねなければならなくなってしまい、どんどん嘘が大きくなっていく。最後は「また嘘をついた」「嘘だけはやめなさいっていったでしょ!」と怒られる。なにもいいことがない。嘘をつかず、さっと謝った方が許してもらえる。本当にその通りだと思う。それはわかっている。それでも嘘をつくのは、きっと、やってしまったことを怒られたくないから、隠したいからではないのだろうな、と今になって思う。嘘をつくのは、母や父の期待を裏切りたくない、自分はできる、自分はすごいと思っていてほしいという想いからなんだろうなと思う。母や父の期待と書いたけれど、それは子どもの私が親にこう思われていたいという勝手な思い込みのこと。そしてこの思い込みの期待、親からどうみられたいかの理想像が子どものころの私の言動にすごく影響していた。学校や遊びなど友だちの中では、負けたからと感情的に泣いたりわめいたりということはなかったのに、家ではちょっとした勝負に負けるだけでむくれ、わがままを言い、泣いていた。からかって姉が「泣き虫はっち」と言ってくるぐらいにはよく泣いていた。よく感情的になるのは、家では我慢をしないから。そういえる部分もあると思う。でもきっと、負けている自分、できていない自分を親に、特に母に見せたくなかったのだと思う。負けて悔しくて相手に感情的になっているのか、というと、そうではない。母が誇らしいと思うような理想の自分になれていない不甲斐なさ、こうありたかったのにそうできなかった自分に悔しくて涙がでてきていたように思う。そう考えると子どものころの自分の行動に納得できた。  嘘をつかずにどんなときでも素直にいれる人は子どもでも大人でも本当に素敵であこがれる。嘘やごまかしはダメと子どもたちに伝えているけれど、素直に言えず、嘘をつく子に、ただただ相手をだまそうと嘘をつく子はいないと私は思っている。きっとその嘘やごまかしは相手が好きだから、相手にこう思われていたい、その理想を崩したくない!という想いから。愛情ゆえにでてくることなのだと思う。表面の行動の奥にある想い。それに気付ける人でありたいと思う。そのためにも常に全力で向き合い続けていたい。 三尾 新

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