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【おたよりコラム】挑戦と失敗と工夫と

 「あっ」という声と一緒に何度ミスをしたことか。お米をといでいて思いっきりお米を流してしまう。切っていたにんじんがゴロゴロっと床に落ちてしまう。混ぜていたパンケーキのもとを台所の床にこぼしてしまう。そして包丁がぼとっと床に落ちてしまったときには「あっ」という声すら出なかった。たくさんの失敗をした。ちょっとした怪我も。それでも料理が大好きだった。母がいる場所、という特別な場所に入れることが楽しかったのかも知れない。

 最初のお手伝いといったらお米とぎだった。一番最初はザルを使ってやっていたけれど、とぎ汁を流すときにザルを使わずうまく手を添えながら流す母のやり方に憧れて、真似をしてみた。それがなかなかに難しい。何度も失敗してお米ごと流してしまった記憶がある。思い返すとあまりやってほしくなかったんだろうな、という表情をしていたこともあったように思う。それでもだだをこねてやらしてもらっていた自分がいた。だんだん成長していくと、お米研ぎからピーラーや包丁を使うように。いろんな材料を切ったり形が変わっていくのが楽しくてしかたなかった。出来上がった料理に入ってるにんじんをみては「これ自分が切ったにんじんだよ」と毎度自慢げに言ったのも覚えている。いろいろなことができるようになってきて、準備から全部1人でできるようになった料理はホットケーキだった。土日の朝、三尾家では時間があると家族そろってパンケーキを作ることが多かった。はじめのうちはできあがったパンケーキのもとをホットプレートに流し入れてきれいな丸い形を作れるか。それができるとタイミングを見てひっくり返せるか。自分なりのタイミングをみつけられるようになった。何度もやるうちにできることを広げ、ついにはパンケーキの粉が入っている袋を見ながら分量を測り混ぜることもやるようになった。最初のうちはうまく混ぜれないし、牛乳を入れ忘れたり、卵の殻も入って大変だった。それでも何度もやるうちに失敗は減り、いろんなところに工夫をいれるようになる。たくさんの失敗をしたからこそ、うまくできるようになったと思う。

 料理は理科実験。これは子どものころだけではなく大人になってもずっとそうだった。蒸し器もないのにプリンを作りたい。バーナーもないけど、カリカリのクリームブリュレを作りたい。いろんなレシピを調べてみては、どうしたらできるかを考える。そうやって試行錯誤してきた。大学生のころ毎日料理をしてきたけれど、ものすごくたくさんの失敗もした。本当にあるのかと思う位の丸焦げの料理を作り鍋をいっこダメにしたこともある。何事も経験そんなふうに言ってしまえば簡単だけれど、かなりやらかしてきたなと自分でも思う。

 料理を子どもにさせることは時間にも心にも余裕がないとなかなかできないと思う。でも料理はとっても考える訓練になる。レシピを見て材料を出す、分量をみて1つずつはかっていく、順番に工程を踏んでいく、危ないことや気をつけなきゃいけない事を意識する、そして片付けも。たくさんのことを順序だてて行っていく。これほど勉強になる事はないと思う。1つの料理ではなくて2つ3つ作るようになると、段取り力もつく。この鍋を温めているうちに、この材料を切って、次に必要な材料も出す。最初のうちは全部材料を出し切ってからスタートしていたけれど、必要なものを必要なタイミングで出せるようになる。考える余地が山ほどあるのが料理。読解力がない、自分で考えられない、よく聞く悩みではあるけれど料理を一人でやるようになると全て解決してしまう。それほど料理はすごいことだと思う。できあがったときのごほうびもしっかりついてくる。今コロナで学級閉鎖も多くある、家での時間が増えている。ぜひそんなときには料理をしてみてほしいと思う。心配事も多いと思うけれど、子どもに任せて、たくさんの失敗をさせてあげて欲しい。

 そんな私もしばふを始めてからは台所がない生活を行っていることもあり料理がなかなかできていない。まずは、ホワイトデーに何かお菓子でも作ってみようかなぁと思う。 三尾 新

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