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【おたよりコラム】自分があって人がいて

 出会い。それは突然のものが多いと思う。夏のキャンプ以降教室やイベントに関わってくれている背の高いりゅう。りゅうとの出会いはキャンプのスタッフ募集から。色々な偶然が重なって今にいたるのだけれども、心から信頼し、いろいろなことを任せられるひとり。そんなりゅうとはよく話す。芸術について、国際協力について、数学について、受験について、人の性格について、歴史について、話題は本当に多岐にわたる。勝手にだけど仲はいいと思っている。でも、面白いぐらいに二人の考え方は反対。長期的に物事を考えるりゅうと短期的な三尾。全体から個の順で考えるりゅうと個から全体の順の三尾。では、考え方が違うから意見がぶつかって終わるのかというとそうではない。二人に共通しているのは、さまざまな考えがあるということを知っていること、そしてどうしてそう考えるのかに興味をもつことだと思う。簡単にいえば、ものも含め相手に関心をもつタイプということなんだと思う。だから、意見や考えはちがっても、否定するではなく、そういう考え方もあるのかとお互い受け止め、それはわかる、でもここは共感できないと考えを伝える、という会話になっていく。なんの話題をだしても知識も多く、考えがある。こういう人を教養があるというのではないかと思う。  知識を増やし教養を身につけ、コミュニケーションを円滑にするためにも「相手に関心をもちましょう」という言葉を聞くことがある。たしかに相手に関心をもつことで、さまざまなものごとに出会うきっかけがうまれ、視野が広がる。相手を受け入れたり、感謝したりという気持ちも生まれてくるのだと思う。でも「相手に関心をもちましょう」といっても、ものや人に関心をもつために、具体的になにをしたらいいのかといわれると「こうしたらいいよ」というのはなかなか難しい。私は子どもの頃から大の負けず嫌いだし、何事も勝ち負けで判断していたような子だったということもあり、いつも相手はどのように考えているのか、どう動いているのか、なんでこれはこうなるのか、と考えるタイプだったので、物事をいろいろと自分なりに考えてみるということが当たり前だった。ではなんで相手を見ていたのかというと、教養人になりたいというようん高尚なものではなく、自分がどうしたい、どうありたい、というような自分の想いがあったからなのではないか。その理想の自分、小さなやってみたいを叶えるための行動だったのではないかと思う。つまり、まずは自分をしっかりみつめ、自分がどうしたいのか、どうなっていたいのか、そういった内側の核が明確になってくると、おのずと相手のことをみてみよう、と考えが外に向かっていくのではないか。「相手に関心をもつ」というのはそこからなのかもしれない。教養のある人になるためにはまず自分自身を知ることから。  いま、6年生の作文は、考えを問うプチ小論文のようなものにしている。書かれている作文がとても深く、その子らしさがでていて私はその作文を読むことが大好きで、いつも誰かにこんなすごい作文が書かれているよ!とみせたくなる。みんなちゃんと考えを持っている。作文に限らず、もっともっと子どもたちはなんでもできる!私はひたすらに子どもたちのできるを信じる。子どもたち自身がどうしたいかを自分で考え行動していく。そんなことを当たり前のことだと思ってもらえるように教室でもそれ以外でも経験と自信を積み重ねられる機会をたくさん用意していきたいと思う。今の学年が終わり、また新しい学年がはじまる。切り替わるタイミングというのはなにか意識を変えるには最高のタイミング。子どもたちに自分で判断するようにと伝え、どんどん外に目を向けられるようになってほしいと願う。そして、子どもにだけ押し付けず、まずは私自身が考え動くことを楽しんでいる姿をみせていく。どんな道でも明日が明るいものになるかは、全てその人の捉え方と行動次第なんだということを全力で伝えていきたいと思います。

三尾 新

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